J・T・トーマス (ディフェンシブバック)
アメリカ合衆国のアメリカンフットボール選手 (1951生)
J・T・トーマス(J. T. Thomas、1951年4月22日 - )はジョージア州・メイコン出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブバック。ピッツバーグ・スティーラーズで「スティールカーテン」と呼ばれた強力なディフェンスの一員として、4回スーパーボウル優勝を果たしている[1]。
J. T. Thomas | |||||||
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基本情報 | |||||||
ポジション |
コーナーバック セイフティ | ||||||
生年月日 | 1951年4月22日(73歳) | ||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ジョージア州メイコン | ||||||
身長: | 6' 2" =約188cm | ||||||
体重: | 196 lb =約88.9kg | ||||||
経歴 | |||||||
大学 | フロリダ州立大学 | ||||||
NFLドラフト | 1973年年 / 1巡目全体24位 | ||||||
初出場年 | 1973年 | ||||||
初出場チーム | ピッツバーグ・スティーラーズ | ||||||
所属歴 | |||||||
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受賞歴・記録 | |||||||
スーパーボウル制覇(4回) | |||||||
第9回・第10回・第13回・第14回 | |||||||
NFL 通算成績 | |||||||
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Player stats at PFR |
経歴
編集フロリダ州立大学初のアフリカ系アメリカ人選手となった彼は[2]、2年次の1970年には最初の試合でFGを2度ブロックした。2年次生のオールアメリカンファーストチームに選出された。1972年にはコーナーバック、セイフティでプレーし、プロフットボール・ウィークリーとタイム誌からオールアメリカンファーストチームに選ばれた[1]。
1973年のNFLドラフト1巡24位でピッツバーグ・スティーラーズに指名されて入団した。当時スティーラーズのディフェンスバックは弱点となっており、最後の穴を埋めるために指名したとチャック・ノールヘッドコーチに言われている[3]。1年目は主に控えディフェンシブバックとしてプレーした。2年目の1974年から先発選手となり5インターセプト、1TDをあげた[4]。
メル・ブラントとのコンビは強力なもので[5]、1976年にはプロボウル、オールプロ[4]に選ばれた。
1978年には血液疾患のためシーズンを全休したが、翌年セイフティとして復帰、このシーズンのみインターセプトをあげられなかった[4]。
1980年、開幕戦で足首を負傷した彼はその後控え選手としてプレーした[6]。
1981年、4インターセプトをあげた。1982年、デンバー・ブロンコスにトレードされ[3]、1シーズンプレーした後、引退した[4]。
脚注
編集- ^ a b “J.T. Thomas”. nolefan.org. 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b “J.T. Thomas”. ピッツバーグ・マガジン (2008年1月). 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b “J.T. Thomas, Steelers Cornerback, 1973-1982”. Pittsburgh Sports Daily Bulletin (2011年12月16日). 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b c d JW Nix (2009年6月19日). “The Almost All-Time Pittsburgh Steelers Defense”. bleacherreport.com. 2012年7月8日閲覧。
- ^ “Top Ten Cornerback Tandems: Mel Blount and J.T. Thomas.”. NFLフィルムズ (2009年7月1日). 2012年7月8日閲覧。
- ^ “Steelers trade J.T.Thomas”. ゲティスバーグ・タイムズ (1982年8月19日). 2012年7月8日閲覧。
- ^ Ray Marano (2003年9月22日). “Coaching and mentoring”. sbnonline.com. 2012年7月8日閲覧。
外部リンク
編集- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference
- J・T・トーマス - IMDb
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