1992年の読売ジャイアンツ
1992年の読売ジャイアンツ(1992ねんのよみうりジャイアンツ)では、1992年における読売ジャイアンツの動向をまとめる。
1992年の読売ジャイアンツ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ2位 | |
67勝63敗 勝率.515[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 東京ドーム |
球団組織 | |
オーナー | 正力亨 |
経営母体 | 読売新聞社 |
監督 | 藤田元司 |
選手会長 | 岡崎郁 |
« 1991 1993 » |
この年の読売ジャイアンツは、2回目の藤田元司監督体制の4年目(通算7年目)のシーズンである。
概要
編集前年12年ぶりにBクラスに転落し、必勝を期して迎えたシーズンだったが、4月中旬に8連敗を喫するなど出遅れて開幕ダッシュに失敗し5月上旬にも4連敗を2度記録、9日には大洋に大敗し最下位に転落。4番の原辰徳が打率1割台と低迷し、エースとしての働きが期待された桑田真澄も5月までにわずか2勝、防御率4点台と期待とは程遠い数字で、リリーフの要であった水野雄仁も右肘の遊離軟骨でシーズンを棒に振るなど、投打の主力の不振がそのままチームの成績に直結した。チームは開幕直後にロイド・モスビーを、さらに5月8日には中尾孝義との交換で西武から大久保博元を獲得。チームも6月から大久保が正捕手に定着すると反撃を開始し、大久保が本塁打を打つとチームが勝つという不敗神話(大久保効果)まで生まれ、原も5月までとは別人のように勝負強さを発揮し、チームは6月7日から10連勝を記録し、一気にAクラスに上昇する。連勝が止まった後も4連勝、1つ負けた後また7連勝を記録し、7月8日についに首位に立ち、そのまま前半を首位で折り返し2年ぶり優勝の声が聞こえ始めた。ところがヤクルトとの後半開幕戦で桑田が5回6失点でKOされ敗れるとチームは続く2試合も落として同一カード3連敗を喫し、大久保の不敗神話も途絶えチームは4位に転落する。それでも大黒柱の斎藤雅樹や新守護神の石毛博史などの活躍で優勝争いに残り、9月5日にはリーグ60勝一番乗りを果たすが、その次の試合で斎藤が打球の直撃を受け降板するとそこからチームは5連敗を喫し後退、桑田が最終的に14敗を喫するなど、最後まで期待に応えられず9月以降は10勝13敗の借金3に終わり、結局10月4日に優勝の可能性が消滅し最終的に前年最下位から大躍進の阪神と同率2位でシーズンを終えた。シーズンオフには藤田監督は勇退し後任には長嶋茂雄が13年ぶりの監督に復帰した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集開幕:4/5 | 5/1 | 6/2 | 7/1 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 中 | 緒方耕一 | 二 | 緒方耕一 | 二 | 緒方耕一 | 二 | 緒方耕一 | 二 | 緒方耕一 | 二 | 篠塚和典[注 1] |
2 | 遊 | 川相昌弘 | 遊 | 川相昌弘 | 遊 | 川相昌弘 | 遊 | 川相昌弘 | 遊 | 川相昌弘 | 遊 | 緒方耕一 |
3 | 二 | 篠塚利夫 | 一 | 原辰徳 | 右 | 駒田徳広 | 三 | 岡崎郁 | 三 | 岡崎郁 | 右 | 駒田徳広 |
4 | 一 | 原辰徳 | 右 | 駒田徳広 | 一 | 原辰徳 | 一 | 原辰徳 | 一 | 原辰徳 | 一 | 原辰徳 |
5 | 右 | 駒田徳広 | 中 | モスビー | 中 | モスビー | 右 | 駒田徳広 | 右 | 駒田徳広 | 中 | モスビー |
6 | 三 | 岡崎郁 | 三 | 岡崎郁 | 三 | 岡崎郁 | 中 | モスビー | 中 | モスビー | 左 | 吉村禎章[注 2] |
7 | 左 | ゴンザレス | 左 | 西岡良洋[注 3] | 左 | 四條稔 | 左 | 吉村禎章 | 捕 | 大久保博元 | 三 | 岡崎郁 |
8 | 捕 | 吉原孝介 | 捕 | 吉原孝介 | 捕 | 吉原孝介 | 捕 | 大久保博元 | 左 | 吉村禎章 | 捕 | 吉原孝介 |
9 | 投 | 槙原寛己 | 投 | 桑田真澄 | 投 | 宮本和知 | 投 | 宮本和知 | 投 | 宮本和知 | 投 | 槙原寛己 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 広島 | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | ヤクルト | -- | 阪神 | -- | ヤクルト | -- |
2位 | 阪神 | 2.0 | 広島 | 0.5 | 阪神 | 2.0 | 阪神 | 1.5 | 巨人 | 2.5 | ヤクルト | 1.0 | 巨人 | 2.0 |
3位 | ヤクルト | 3.5 | 阪神 | 1.0 | 巨人 | 3.5 | 巨人 | 2.0 | 阪神 | 3.0 | 巨人 | 1.5 | 阪神 | |
4位 | 中日 | 4.0 | 中日 | 4.0 | 広島 | 5.0 | 広島 | 3.0 | 広島 | 5.0 | 広島 | 4.0 | 広島 | 3.0 |
5位 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 9.0 | 中日 | 6.0 | 中日 | 8.0 | 大洋 | 10.5 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 8.0 |
6位 | 大洋 | 6.5 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 7.5 | 大洋 | 9.5 | 中日 | 15.0 | 中日 | 8.5 | 中日 | 9.0 |
期間 成績 |
8勝11敗 勝率.421 |
8勝15敗 勝率.348 |
16勝5敗 勝率.762 |
11勝8敗 勝率.579 |
14勝11敗 勝率.560 |
8勝11敗 勝率.421 |
2勝2敗 勝率.500 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ヤクルトスワローズ | 69 | 61 | 1 | .531 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 67 | 63 | 0 | .515 | 2.0 |
2位 | 阪神タイガース | 67 | 63 | 2 | .515 | 2.0 |
4位 | 広島東洋カープ | 66 | 64 | 0 | .508 | 3.0 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 61 | 69 | 1 | .469 | 8.0 |
6位 | 中日ドラゴンズ | 60 | 70 | 0 | .462 | 9.0 |
オールスターゲーム1992
編集- 選出選手
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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投手 | 桑田真澄 | 5 |
槙原寛己 | 4 | |
捕手 | 大久保博元 | 初 |
三塁手 | 岡崎郁 | 4 |
内野手 | 駒田徳広 | 3 |
外野手 | 原辰徳 | 12 |
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集ドラフト
編集順位 | 選手名 | 守備 | 所属 | 結果 |
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1位 | 松井秀喜 | 内野手 | 星稜高 | 入団 |
2位 | 門奈哲寛 | 投手 | 日本大学 | 入団 |
3位 | 西山一宇 | 投手 | NTT四国 | 入団 |
4位 | 木村龍治 | 投手 | 青山学院大学 | 入団 |
5位 | 村田善則 | 捕手 | 佐世保実業高 | 入団 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1992年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年11月5日閲覧。
- ^ 『1993 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1992年。ISBN 4-583-03036-3。
- ^ “読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年11月6日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。