1979年の中日ドラゴンズ(1979ねんのちゅうにちドラゴンズ)では、1979年の中日ドラゴンズの動向をまとめる。

1979年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ3位
59勝57敗14分 勝率.509[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 ナゴヤ球場
球団組織
オーナー 小山武夫
経営母体 中日新聞社
監督 中利夫
« 1978
1980 »

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この年の中日ドラゴンズは、中利夫監督の2年目のシーズンである。

概要

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5位で終わったチームの再構築を図るべく、外国人をボビー・ジョーンズウェイン・ギャレットに一新。投手陣では2年目の小松辰雄鈴木孝政とともに抑えを任され、また高橋三千丈土屋正勝都裕次郎などの若手投手が一挙に台頭したシーズンとなった。打撃陣でも3年目の宇野勝が前年までのレギュラーだった正岡真二から遊撃のポジションを奪取。田尾安志が2番に座り、4番の大島康徳も36本塁打を放ってチーム三冠王となるなど、明るい話題が続いた。中監督2年目のチームは前年初優勝&日本一のヤクルトが最下位だったこともあり、5球団の団子レースを抜け出して前半戦は首位で終了。このまま優勝が期待されたが、後半戦以降はBクラスに転落。10月初めからの8連勝で借金生活から抜け出し、阪神とのAクラス争いに勝って3位で終えた。投手陣ではエースの星野仙一三沢淳が例年通りの成績を収めたほか、1977年のドラフト1位の藤沢公也がこの年入団して新人王を獲得してチーム防御率3.97はリーグ3位。打撃陣でも両外国人や高木守道木俣達彦の両ベテランがまずまずの成績をあげてチーム本塁打リーグ3位の155本を記録したほか、ルーキーの川又米利も代打の切り札として一軍に定着した。カード別成績ではBクラスの阪神・巨人・ヤクルトに勝ち越したものの優勝の広島には歯が立たず、8勝14敗4分と負け越した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 高木守道
2 田尾安志
3 ジョーンズ
4 大島康徳
5 ギャレット
6 井上弘昭
7 木俣達彦
8 正岡真二
9 星野仙一
1979年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 中日 -- 広島 -- 広島 -- 広島 --
2位 大洋 0.5 中日 3.0 中日 0.5 広島 2.5 阪神 4.5 阪神 10.0 大洋 6.0
3位 阪神 1.0 大洋 大洋 1.0 大洋 3.5 中日 4.5 大洋 10.5 中日 7.5
4位 中日 1.5 広島 4.5 広島 2.0 阪神 3.5 巨人 5.0 巨人 12.0 阪神 8.0
5位 広島 3.5 ヤクルト 4.5 阪神 4.0 巨人 3.5 大洋 5.5 中日 12.5 巨人 10.5
6位 ヤクルト 5.5 阪神 6.0 ヤクルト 7.5 ヤクルト 11.0 ヤクルト 13.5 ヤクルト 18.0 ヤクルト 19.0


1979年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 広島東洋カープ 67 50 13 .573 優勝
2位 横浜大洋ホエールズ 59 54 17 .522 6.0
3位 中日ドラゴンズ 59 57 14 .509 7.5
4位 阪神タイガース 61 60 9 .504 8.0
5位 読売ジャイアンツ 58 62 10 .483 10.5
6位 ヤクルトスワローズ 48 69 13 .410 19.0

[1]

オールスターゲーム1979

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ファン投票 選出なし
監督推薦 藤沢公也 三沢淳 星野仙一 木俣達彦 大島康徳 高木守道 井上弘昭

できごと

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選手・スタッフ

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[2]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
藤沢公也 新人王
最高勝率 .722 初受賞
大島康徳 最多安打 159本 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
木俣達彦 捕手 2年ぶり5度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
高木守道 二塁手 2年ぶり3度目

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 牛島和彦 投手 浪商高 入団
2位 小松崎善久 捕手 土浦第三高 入団
3位 島田芳明 外野手 同志社大学 入団
4位 井出登 投手 いすゞ自動車 翌年シーズン後に入団

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1979年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月13日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7