1970年の阪急ブレーブス
1970年の阪急ブレーブスでは、1970年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
1970年の阪急ブレーブス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
64勝64敗2分 勝率.500[1] | |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 阪急西宮球場 |
球団組織 | |
オーナー | 森薫 |
経営母体 | 京阪神急行電鉄 |
監督 | 西本幸雄 |
« 1969 1971 » |
この年の阪急ブレーブスは、西本幸雄監督の8年目のシーズンである。
概要
編集前年まで3連覇を達成し、パ・リーグ初の4連覇を目指したチームは日本万国博覧会が阪急電鉄沿線の吹田市で開催されたこともあり西本監督は「大阪万博の年を優勝で飾る」と宣言。しかし、投手陣の二枚看板で暗黒時代を支えたベテラン米田哲也・梶本隆夫が開幕から成績不振に陥り、チームも5月までは首位の東映から4.5ゲーム差の5位に低迷。東映の失速やロッテが独走状態に突入した7月以降巻き返して近鉄と3位争いを演じたが、ロッテや2位の南海を捕まえることができず勝率5割に到達するのがやっとで、万博イヤーを優勝で飾れず4年ぶりのBクラスに終わった。カード別成績は優勝のロッテと相性が悪く9勝16敗1分と負け越し、ロッテ優勝の引き立て役となった。投手陣ではベテラン二人が衰えたものの、2年目の山田久志が10勝をあげてローテ入りするも防御率が3.57のリーグ4位に転落。打撃陣では5月から1番打者となった福本豊が2年目で初の盗塁王となり、前年ほとんど二軍で過ごした加藤秀司は代打で出場機会を伸ばすなど若手が台頭し、翌1971年のリーグ優勝につながった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 左 | 当銀秀崇[3] |
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2 | 遊 | 阪本敏三 |
3 | 中 | 大熊忠義 |
4 | 右 | 長池徳士 |
5 | 三 | 森本潔 |
6 | 一 | 石井晶 |
7 | 捕 | 岡村浩二 |
8 | 二 | 山口富士雄 |
9 | 投 | 米田哲也 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 東映 | -- | 東映 | -- | ロッテ | -- | ロッテ | -- | ロッテ | -- | ロッテ | -- | ロッテ | -- |
2位 | 近鉄 | 1.5 | ロッテ | 0.5 | 東映 | 3.0 | 南海 | 9.5 | 南海 | 9.5 | 南海 | 12.0 | 南海 | 10.5 |
3位 | ロッテ | 2.5 | 近鉄 | 2.5 | 南海 | 5.5 | 近鉄 | 13.0 | 阪急 | 11.5 | 阪急 | 16.5 | 近鉄 | 13.5 |
4位 | 南海 | 3.0 | 南海 | 3.0 | 近鉄 | 8.5 | 阪急 | 13.0 | 近鉄 | 11.5 | 近鉄 | 阪急 | 16.5 | |
5位 | 阪急 | 3.5 | 阪急 | 4.5 | 阪急 | 10.5 | 東映 | 13.0 | 東映 | 15.0 | 東映 | 22.0 | 東映 | 24.5 |
6位 | 西鉄 | 4.5 | 西鉄 | 10.5 | 西鉄 | 17.5 | 西鉄 | 23.5 | 西鉄 | 24.5 | 西鉄 | 32.0 | 西鉄 | 34.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | ロッテオリオンズ | 80 | 47 | 3 | .630 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 69 | 57 | 4 | .548 | 10.5 |
3位 | 近鉄バファローズ | 65 | 59 | 6 | .524 | 13.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 64 | 64 | 2 | .500 | 16.5 |
5位 | 東映フライヤーズ | 54 | 70 | 6 | .435 | 24.5 |
6位 | 西鉄ライオンズ | 43 | 78 | 9 | .355 | 34.0 |
オールスターゲーム1970
編集→詳細は「1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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監督 | 西本幸雄 | |
投手 | 米田哲也 | 12 |
捕手 | 岡村浩二 | 5 |
遊撃手 | 阪本敏三 | 3 |
外野手 | 長池徳二 | 4 |
福本豊 | 初 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
福本豊 | 盗塁王 | 75個 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
阪本敏三 | 遊撃手 | 3年連続3度目 |
長池徳二 | 外野手 | 2年連続3度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1970年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
- 退団年は阪急を選手として最初に退団した年、最終年はNPBに選手として所属した最終年を示す
順位 | 選手名 | 位置 | 所属 | 退団年 | 最終年 | 通算成績 |
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1位 | 小松建二 | 外野手 | 大昭和製紙 | 1976終 | 1980 | 246試合175打数32安打5本塁打10打点 打率.183 |
2位 | 今井雄太郎 | 投手 | 新潟鉄道管理局 | 1990終 | 1991 | 429登板274先発130勝112敗10S 防御率4.28 |
3位 | 小関康雄 | 投手 | 榛原高 | 入団拒否 | 所属なし | 一軍公式戦出場なし |
4位 | 細川安雄 | 捕手 | 高松商業高 | 1981終 | 1981 | 55試合34打数6安打0本塁打3打点 打率.176 |
5位 | 高須正義 | 内野手 | 土浦日本大学高 | 1972終 | 1972 | 一軍公式戦出場なし |
6位 | 日高兼一郎 | 投手 | 宮崎・本庄高 | 入団拒否 | 所属なし | 一軍公式戦出場なし |
7位 | 福間納 | 投手 | 松下電器 | 入団拒否 | 1990 | 451登板14先発22勝21敗9S 防御率3.67 |
8位 | 大西忠 | 外野手 | 土浦日本大学高 | 1974終 | 1974 | 2試合2打数1安打0本塁打0打点 打率.500 |
9位 | 三宅昇 | 外野手 | 西濃運輸 | 1973終 | 1973 | 1試合1打数0安打0本塁打0打点 打率.000 |
出典
編集- ^ a b “年度別成績 1970年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月25日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1970年4月13日付朝刊、14版、10面
- ^ 1回裏の第1打席で正垣宏倫に交代
- ^ 読売新聞1970年10月17日11面「梶本が800登板」読売新聞縮刷版1970年10月p573
- ^ LEGEND OF Bs 2011 〜蘇る黄金の70's〜オリックス・バファローズ公式HP