1967年の読売ジャイアンツ
1967年の読売ジャイアンツでは、1967年の読売ジャイアンツにおける動向をまとめる。
1967年の読売ジャイアンツ | |
---|---|
成績 | |
日本一 | |
日本S | 4勝2敗(対阪急) |
セントラル・リーグ優勝 | |
84勝46敗4分 勝率.646[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 正力亨 |
経営母体 | 読売新聞社 |
監督 | 川上哲治 |
« 1966 1968 » |
概要
編集前年連覇を達成し、この年も3連覇を狙う川上監督は西鉄から高倉照幸と田中久寿男を、広島から森永勝也をトレードで獲得して打線を強化。戦力面では前年限りで引退した広岡達朗に代わって黒江透修が遊撃手のレギュラーを獲得し、柴田勲と1・2番コンビを形成。投手陣では前年新人王の堀内恒夫が若干成績を落としたが、城之内邦雄や金田正一、渡辺秀武などが例年通りの活躍を見せた。新戦力の投入で層が厚くなったチームは5月と8月に12連勝を2度記録するなど中日・阪神といったライバル球団を寄せ付けず、2位中日に12ゲーム差をつけて3年連続リーグ優勝を達成。日本シリーズは南海や西鉄といった常連に代わって阪急との対決となり第3戦まで3連勝して王手をかけるが、その後連敗。第6戦では長嶋茂雄や王貞治など打線の活躍もあり9対3で阪急を下し、3年連続の日本一を達成した。打撃陣は王が47本塁打・108打点の二冠王でMVPを、柴田が70盗塁で2年連続の盗塁王をそれぞれ獲得するなど絶好調で、チーム本塁打とチーム盗塁数はリーグ1位で、失策数も91でリーグ1位と断トツだった。投手陣も金田が16勝で復活するなど、チーム防御率2.87でリーグ2位と好調だった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | 柴田勲 |
---|---|---|
2 | 遊 | 黒江透修 |
3 | 一 | 王貞治 |
4 | 三 | 長嶋茂雄 |
5 | 捕 | 森昌彦 |
6 | 左 | 国松彰 |
7 | 右 | 田中久寿男 |
8 | 二 | 土井正三 |
9 | 投 | 城之内邦雄 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 阪神 | 阪神 | 6.5 | 中日 | 6.0 | 中日 | 6.5 | 中日 | 17.0 | 中日 | 15.0 | 中日 | 12.0 | |
3位 | 大洋 | 1.0 | 中日 | 7.5 | 阪神 | 8.0 | 阪神 | 10.0 | 阪神 | 17.5 | 阪神 | 15.5 | 阪神 | 14.0 |
4位 | 中日 | 2.5 | サンケイ | 10.0 | サンケイ | 13.0 | サンケイ | 13.0 | 大洋 | 22.5 | 大洋 | 23.0 | 大洋 | 25.0 |
5位 | 広島 | 3.5 | 大洋 | 13.5 | 大洋 | 16.0 | 大洋 | 17.0 | サンケイ | 24.0 | サンケイ | 26.0 | サンケイ | 26.0 |
6位 | サンケイ | 8.0 | 広島 | 16.5 | 広島 | 17.0 | 広島 | 19.5 | 広島 | 30.0 | 広島 | 34.5 | 広島 | 37.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 84 | 46 | 4 | .646 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 72 | 58 | 4 | .554 | 12.0 |
3位 | 阪神タイガース | 70 | 60 | 6 | .538 | 14.0 |
4位 | 大洋ホエールズ | 59 | 71 | 5 | .454 | 25.0 |
5位 | サンケイアトムズ | 58 | 72 | 5 | .446 | 26.0 |
6位 | 広島カープ | 47 | 83 | 8 | .362 | 37.0 |
日本シリーズ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月21日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 7 - 3 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月22日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 1 - 0 | 阪急ブレーブス | |
10月23日(月) | 移動日 | ||||
10月24日(火) | 第3戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 6 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月25日(水) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 9 - 5 | 読売ジャイアンツ | |
10月26日(木) | 第5戦 | 阪急ブレーブス | 6 - 3 | 読売ジャイアンツ | |
10月27日(金) | 移動日 | ||||
10月28日(土) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 9 - 3 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続9回目) |
オールスターゲーム1967
編集→詳細は「1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
監督 | 川上哲治 | |
投手 | 金田正一 | 16 |
菅原勝矢 | 初 | |
城之内邦雄 | 4 | |
捕手 | 森昌彦 | 8 |
一塁手 | 王貞治 | 8 |
二塁手 | 土井正三 | 初 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 10 |
内野手 | 黒江透修 | 初 |
外野手 | 柴田勲 | 5 |
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集- 最優秀選手:王貞治(2年ぶり3度目)
- 本塁打王:王貞治(47本、6年連続6度目)
- 打点王:王貞治(108打点、4年連続5度目)
- 盗塁王:柴田勲(70盗塁、2年連続2度目)
- 最多出塁数:王貞治(276個、初受賞)
- 最高勝率:堀内恒夫(.857、2年連続2度目)
- ベストナイン:
- 森昌彦(捕手、7年連続7度目)
- 王貞治(一塁手、6年連続6度目)
- 長嶋茂雄(三塁手、10年連続10度目)
- 柴田勲(外野手、初受賞)
ドラフト
編集→詳細は「1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備位置 | 所属 | 結果 |
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1位 | 高田繁 | 外野手 | 明治大学 | 入団 |
2位 | 山内新一 | 投手 | 三菱重工三原 | 入団 |
3位 | 大隅正人 | 投手 | サッポロビール | 入団 |
4位 | 山田直政 | 投手 | 岡山南高 | 入団 |
5位 | 板東順司 | 投手 | 鳴門高 | 入団 |
6位 | 菅田秀高 | 投手 | 島根農科大学附属農林高 | 拒否・松江農協 |
7位 | 沢田止男 | 内野手 | 八代東高 | 拒否・日本鋼管入社 |
8位 | 小田芳男 | 捕手 | 萩高 | 入団 |
9位 | 小平誠司 | 捕手 | 陸上自衛隊西部 | 入団 |
10位 | 関本四十四 | 投手 | 糸魚川商工高 | 入団 |
11位 | 依田優一 | 外野手 | 堀越高 | 拒否・法政大学進学 |
12位 | 飯尾尊雄 | 投手 | 丹原高 | 入団 |
13位 | 中室幹雄 | 外野手 | 津山商業高 | 入団 |
14位 | 三平孝広 | 投手 | 木更津中央高 | 入団 |
15位 | 佐藤清三郎 | 捕手 | 木更津中央高 | 拒否・大昭和製紙入社 |
出典
編集- ^ a b “年度別成績 1967年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月13日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1967年4月9日付朝刊、14版、9面
- ^ 【2回裏】瀧2号、堀内2号【3回裏】高倉12号【4回裏】堀内3号【5回裏】末次5号【6回裏】堀内4号【7回裏】高倉13号。
- ^ “読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月14日閲覧。