1963年の中日ドラゴンズでは、1963年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

1963年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ2位
80勝57敗3分 勝率.584[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 与良ヱ
経営母体 中日新聞社
監督 杉浦清
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1964 »

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この年の中日ドラゴンズは、2回目の杉浦清監督の1年目のシーズンである。

概要

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濃人渉前監督が辞任したのを受け、地元出身で戦後間もない時期に監督を務めた杉浦清が選手兼任時代の1948年以来、15年ぶりに再登板。杉浦新監督はそれまでの紺色主体をやめてドラゴンズブルーの青色をメインカラーに採用し、また高木守道江藤慎一といった濃人前監督が育てた選手や、ジム・マーシャルボブ・ニーマンビリー・クラウスといった外国人選手を活用してAクラス入りをと意気込んだ。杉浦監督・西沢道夫ヘッドコーチ・与那嶺要打撃コーチと、コーチ陣も一新された。投手陣は柿本実山中巽河村保彦らが2ケタ勝利をあげ、特に柿本はチームトップの21勝、河村もあわや20勝の活躍(19勝)を見せ、チーム防御率2.84はリーグ2位をマークした。一方で2年間フル回転した権藤博が長年の酷使で成績が下降し、板東英二もスタミナ不足で勝ち星が1ケタになるなど誤算が続いた。打撃陣は江藤・高木・マーシャルらの活躍で本塁打、盗塁数(120本塁打、116盗塁)ともにリーグ2位を記録し、強竜打線の歴史がここから始まった。チームは全球団に勝ち越したものの、巨人と2.5ゲーム差の2位で終えた。青色主体のユニフォームが中日に定着するかに見えたが、翌年はチームが最下位に転落して西沢新監督が就任すると、ユニフォームも1965年から紺色に戻されその後青色が定着するのは1969年水原茂監督就任まで待つことになる。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 中利夫
2 会田豊彦
3 マーシャル
4 江藤慎一
5 前田益穂
6 ニーマン
7 高木守道
8 今津光男
9 河村保彦
1963年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 中日 1.5 中日 3.0 中日 8.5 中日 10.0 中日 6.0 中日 4.0 中日 2.5
3位 広島 5.0 広島 7.5 国鉄 14.5 国鉄 17.0 阪神 18.0 阪神 16.5 阪神 14.5
4位 阪神 7.0 国鉄 8.0 阪神 15.5 大洋 20.5 大洋 21.0 大洋 19.0 国鉄 18.0
5位 国鉄 7.5 阪神 11.0 広島 16.5 阪神 20.5 国鉄 22.0 国鉄 19.5 大洋 24.0
6位 大洋 9.0 大洋 12.5 大洋 17.0 広島 22.0 広島 26.0 広島 25.0 広島 25.0


1963年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 83 55 2 .601 優勝
2位 中日ドラゴンズ 80 57 3 .584 2.5
3位 阪神タイガース 69 70 1 .496 14.5
4位 国鉄スワローズ 65 73 2 .471 18.0
5位 大洋ホエールズ 59 79 2 .428 24.0
6位 広島カープ 58 80 2 .420 25.0

[1]

オールスターゲーム1963

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コーチ 杉浦清
ファン投票 選出なし
監督推薦 柿本実 権藤博 河村保彦 江藤慎一
補充選手 マーシャル

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
高木守道 盗塁王 50個 初受賞
柿本実 最優秀防御率 1.70 初受賞
山中巽 最高勝率 .714 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
高木守道 二塁手 初受賞
江藤慎一 外野手 2年ぶり2度目

出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1963年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月2日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 108 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7