1960年の西鉄ライオンズ
1960年の西鉄ライオンズでは、1960年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。
1960年の西鉄ライオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ3位 | |
70勝60敗6分 勝率.538[1] | |
本拠地 | |
都市 | 福岡県福岡市 |
球場 | 平和台野球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 西日本鉄道 |
監督 | 川崎徳次 |
« 1959 1961 » |
この年の西鉄ライオンズは、川崎徳次監督の1年目のシーズンである。
概要
編集大洋に移籍した三原脩前監督の後を受け、川崎監督が就任。しかし、不動の4番・中西太が腱鞘炎を患うなど、ますます得点力が不足し始めた。チームは2年ぶりの優勝を狙ったものの、南海が開幕ダッシュに成功し、さらに大毎が6月に18連勝を記録するなど、南海・大毎の後塵を拝する展開が続いた。最終的に前年から順位を1つ上げたものの、南海の優勝を許して3位に終わった。投手陣は不動のエース稲尾和久がチーム勝ち星の半分を稼ぎ、2番手投手の畑隆幸などもそれなりの成績を収めたが、黄金時代の主力だった河村英文が広島へ移籍し、西村貞朗が衰えるなどもはや稲尾が主力のチームへと化してしまった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 二 | 仰木彬 |
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2 | 右 | 田辺義三 |
3 | 中 | 高倉照幸 |
4 | 遊 | 豊田泰光 |
5 | 左 | 関口清治 |
6 | 一 | 田中久寿男 |
7 | 三 | 小淵泰輔 |
8 | 捕 | 和田博実 |
9 | 投 | 稲尾和久 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 大毎 | -- | 南海 | -- | 大毎 | -- | 大毎 | -- | 大毎 | -- | 大毎 | -- |
2位 | 南海 | 1.0 | 大毎 | 3.5 | 南海 | 2.0 | 南海 | 2.5 | 南海 | 5.0 | 南海 | 4.0 |
3位 | 東映 | 2.0 | 東映 | 6.5 | 西鉄 | 13.0 | 阪急 | 7.0 | 阪急 | 11.0 | 西鉄 | 12.0 |
4位 | 阪急 | 2.0 | 西鉄 | 8.0 | 阪急 | 14.0 | 西鉄 | 14.5 | 西鉄 | 12.5 | 阪急 | 17.0 |
5位 | 近鉄 | 3.5 | 阪急 | 8.0 | 東映 | 17.0 | 東映 | 26.0 | 東映 | 30.5 | 東映 | 30.0 |
6位 | 西鉄 | 3.5 | 近鉄 | 10.0 | 近鉄 | 20.0 | 近鉄 | 29.0 | 近鉄 | 34.0 | 近鉄 | 39.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 毎日大映オリオンズ | 82 | 48 | 3 | .631 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 78 | 52 | 6 | .600 | 4.0 |
3位 | 西鉄ライオンズ | 70 | 60 | 6 | .538 | 12.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 65 | 65 | 6 | .500 | 17.0 |
5位 | 東映フライヤーズ | 52 | 78 | 2 | .400 | 30.0 |
6位 | 近鉄バファロー | 43 | 87 | 1 | .331 | 39.0 |
オールスターゲーム1960
編集→詳細は「1960年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 監督推薦 | 補充選手 |
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豊田泰光 | 関口清治 |
畑隆幸 |
- 取り消し線は出場辞退した選手
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
仰木彬 | 二塁手 | 初受賞 |
豊田泰光 | 遊撃手 | 2年連続4度目 |
出典
編集- ^ a b “年度別成績 1960年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月24日閲覧。
- ^ “西武ライオンズ公式HP 背番号の歴史”. 埼玉西武ライオンズ. 2017年4月24日閲覧。