1956年の西鉄ライオンズ
1956年の西鉄ライオンズでは、1956年の西鉄ライオンズの動向をまとめる。
1956年の西鉄ライオンズ | |
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成績 | |
日本一 | |
日本S | 4勝2敗(対巨人)[1] |
パシフック・リーグ優勝 | |
91勝51敗7分 勝率.641[2] | |
本拠地 | |
都市 | 福岡県福岡市 |
球場 | 平和台野球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 西日本鉄道 |
監督 | 三原脩 |
« 1955 1957 » |
このシーズンの西鉄ライオンズは、三原脩監督の6年目のシーズンであり、2年ぶり2度目のリーグ優勝、球団創設初の日本一を果たしたシーズンである。
概要
編集この年より新たなスター・稲尾和久が登場。当初は全くの無名だったが、シーズンに入ると大活躍を見せ、21勝6敗・防御率1.06の好成績で「新人王」と「最優秀防御率」を獲得、中西太・豊田泰光と合わせて「西鉄黄金時代三羽ガラス」が誕生した。この年は前年優勝の南海ホークスに一時は7.5ゲーム差も引き離されたが、終盤で逆転、「奇跡」と呼ばれた。この「奇跡」はその後も1958年・1963年で再現する事になる。そしてこの年の日本シリーズではセ・リーグ覇者・水原茂監督率いる読売ジャイアンツを破って初の日本一、ここから「三原脩×水原茂 宿命の対決」が始まる。投手陣はエースの大津守や西鉄創設期以来の主力・川崎徳次が衰え始めたが、稲尾・河村英文・西村貞朗・島原幸雄などが彼らをカバーし、打撃陣も中西・豊田・高倉照幸・大下弘などがそれなりの成績を収め、特に中西は本塁打と打点の二冠でMVPを、豊田は首位打者をそれぞれ獲得した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 二 | 仰木彬 |
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2 | 遊 | 豊田泰光 |
3 | 三 | 中西太 |
4 | 右 | 大下弘 |
5 | 一 | 中谷準志 |
6 | 左 | 関口清治 |
7 | 中 | 高倉照幸 |
8 | 捕 | 日比野武 |
9 | 投 | 河村久文 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 南海 | -- | 毎日 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 西鉄 | -- | 西鉄 | -- |
2位 | 毎日 | 0.5 | 南海 | 0.5 | 西鉄 | 阪急 | 1.5 | 西鉄 | 4.0 | 南海 | 0.0 | 南海 | 0.5 | |
3位 | 西鉄 | 2.5 | 西鉄 | 2.0 | 毎日 | 2.0 | 西鉄 | 3.5 | 阪急 | 7.0 | 阪急 | 9.0 | 阪急 | 10.5 |
4位 | 近鉄 | 3.0 | 阪急 | 6.0 | 阪急 | 2.5 | 毎日 | 7.0 | 毎日 | 11.5 | 毎日 | 12.0 | 毎日 | 13.5 |
5位 | 阪急 | 4.0 | 近鉄 | 10.5 | 近鉄 | 18.5 | 近鉄 | 19.0 | 近鉄 | 22.0 | 近鉄 | 27.5 | 近鉄 | 29.5 |
6位 | 高橋 | 10.5 | 東映 | 13.0 | 東映 | 21.5 | 東映 | 25.0 | 東映 | 34.0 | 東映 | 36.5 | 東映 | 39.5 |
7位 | 東映 | 11.5 | 大映 | 17.5 | 高橋 | 23.0 | 高橋 | 29.5 | 大映 | 40.5 | 大映 | 41.0 | 大映 | 41.0 |
8位 | 大映 | 12.0 | 高橋 | 18.5 | 大映 | 24.5 | 大映 | 30.5 | 高橋 | 41.0 | 高橋 | 46.0 | 高橋 | 45.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西鉄ライオンズ | 96 | 51 | 7 | .653 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 96 | 52 | 6 | .649 | 0.5 |
3位 | 阪急ブレーブス | 88 | 64 | 2 | .579 | 10.5 |
4位 | 毎日オリオンズ | 84 | 66 | 4 | .560 | 13.5 |
5位 | 近鉄パールス | 68 | 82 | 4 | .453 | 29.5 |
6位 | 東映フライヤーズ | 58 | 92 | 4 | .387 | 39.5 |
7位 | 大映スターズ | 57 | 94 | 3 | .377 | 41.0 |
8位 | 高橋ユニオンズ | 52 | 98 | 4 | .347 | 45.5 |
日本シリーズ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月10日(水) | 第1戦 | 西鉄ライオンズ | 0 - 4 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月11日(木) | 第2戦 | 西鉄ライオンズ | 6 - 3 | 読売ジャイアンツ | |
10月12日(金) | 移動日 | ||||
10月13日(土) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 4 - 5 | 西鉄ライオンズ | 平和台球場 |
10月14日(日) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 4 | 西鉄ライオンズ | |
10月15日(月) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 12 - 7 | 西鉄ライオンズ | |
10月16日(火) | 移動日 | ||||
10月17日(水) | 第6戦 | 西鉄ライオンズ | 5 - 1 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
優勝:西鉄ライオンズ(初優勝) |
オールスターゲーム1956
編集→詳細は「1956年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
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コーチ | 三原脩 | |
投手 | 島原幸雄 | 初 |
河村久文 | 3 | |
捕手 | 日比野武 | 3 |
三塁手 | ||
遊撃手 | 豊田泰光 | 2 |
外野手 | 高倉照幸 | 初 |
- 太字はファン投票による選出、取消線は出場辞退。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
中西太 | 最高殊勲選手 | 初受賞 | |
本塁打王 | 29本 | 4年連続4度目 | |
打点王 | 95打点 | 3年ぶり2度目 | |
豊田泰光 | 首位打者 | .325 | 初受賞 |
稲尾和久 | 新人王 | ||
最優秀防御率 | 1.06 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
中西太 | 三塁手 | 4年連続4度目 |
豊田泰光 | 遊撃手 | 初受賞 |
出典
編集- ^ a b “1956年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2016年6月19日閲覧。
- ^ a b “年度別成績 1956年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月30日閲覧。
- ^ “川上哲治さんにまつわる美談。プロというのはプライドの塊である/廣岡達朗コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2021年10月15日). 2021年10月19日閲覧。
- ^ “西武ライオンズ公式HP 背番号の歴史”. 埼玉西武ライオンズ. 2015年9月30日閲覧。