1932年ロサンゼルスオリンピックの競泳競技
1932年ロサンゼルスオリンピックの競泳競技(1932ねんロサンゼルスオリンピックのきょうえいきょうぎ)は、1932年に実施された。
1932年ロサンゼルスオリンピック 競泳競技 | |
会場 | Swimming Stadium |
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開催日 | 8月6日 - 8月13日 |
参加選手数 | 20か国 128人 |
« 1928 | 1936 » |
概要
編集男子は6種目、女子は5種目で争われた。
競技結果
編集男子
編集種目 | 金 | 銀 | 銅 | |||
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100m自由形 詳細 |
宮崎康二 日本 (JPN) |
58秒2 | 河石達吾 日本 (JPN) |
58秒6 | アルバート・シュウォーツ アメリカ合衆国 (USA) |
58秒8 |
400m自由形 | バスター・クラブ アメリカ合衆国 (USA) |
4分48秒4 | ジャン・タリス フランス (FRA) |
4分48秒5 | 大横田勉 日本 (JPN) |
4分52秒3 |
1500m自由形 詳細 |
北村久寿雄 日本 (JPN) |
19分12秒4 | 牧野正蔵 日本 (JPN) |
19分14秒1 | ジェームス・クリスティ アメリカ合衆国 (USA) |
19分39秒5 |
100m背泳ぎ 詳細 |
清川正二 日本 (JPN) |
1分08秒6 | 入江稔夫 日本 (JPN) |
1分09秒8 | 河津憲太郎 日本 (JPN) |
1分10秒0 |
200m平泳ぎ 詳細 |
鶴田義行 日本 (JPN) |
2分45秒4 | 小池禮三 日本 (JPN) |
2分46秒6 | テオフィロ・イルデフォンソ フィリピン (PHI) |
2分47秒1 |
4 x 200m自由形リレー 詳細 |
日本 宮崎康二 遊佐正憲 横山隆志 豊田久吉 |
8分58秒4 | アメリカ合衆国 フランク・ブース ジョージ・フィスラー メイオラ・カリリ マニュエラ・カリリ |
9分10秒5 | ハンガリー ワニー・アンドラーシュ サバドシュ・ラースロー セーケイ・アンドラーシ バーラーニ・イシュトヴァーン |
9分31秒4 |
女子
編集種目 | 金 | 銀 | 銅 | |||
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100m自由形 | ヘレン・マディソン アメリカ合衆国 (USA) |
1分06秒8 | ビリー・デンオーデン オランダ (NED) |
1分07秒8 | エレノア・ギャラッティ アメリカ合衆国 (USA) |
1分09秒3 |
400m自由形 | ヘレン・マディソン アメリカ合衆国 (USA) |
5分28秒5 | レノア・カイト アメリカ合衆国 (USA) |
5分28秒6 | ジェニー・マーカル 南アフリカ (RSA) |
5分47秒3 |
100m背泳ぎ | エリナー・ホルム アメリカ合衆国 (USA) |
1分19秒4 | ボニー・ミーリング オーストラリア (AUS) |
1分21秒3 | エリザベス・デービス イギリス (GBR) |
1分22秒5 |
200m平泳ぎ | クレア・デニス オーストラリア (AUS) |
3分06秒3 | 前畑秀子 日本 (JPN) |
3分06秒4 | エルス・ヤコブセン デンマーク (DEN) |
3分07秒1 |
4 x 100m自由形リレー | アメリカ合衆国 ヘレン・ジョンズ エレノア・ギャラッティ ジョセフィン・マッキム ヘレン・マディソン |
4分38秒0 | オランダ ビリー・デンオーデン プック・オーヴェスロート コリー・ラデ マリア・フェイルダーハ |
4分47秒5 | イギリス ジョイス・クーパー エリザベス・デービス エドナ・ヒューズ ヘレン・バーコー |
4分52秒4 |
各国メダル数
編集順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
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1 | 日本 (JPN) | 5 | 5 | 2 | 12 |
2 | アメリカ合衆国 (USA) | 5 | 2 | 3 | 10 |
3 | オーストラリア (AUS) | 1 | 1 | 0 | 2 |
4 | オランダ (NED) | 0 | 2 | 0 | 2 |
5 | フランス (FRA) | 0 | 1 | 0 | 1 |
6 | イギリス (GBR) | 0 | 0 | 2 | 2 |
7 | デンマーク (DEN) | 0 | 0 | 1 | 1 |
ハンガリー (HUN) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
フィリピン (PHI) | 0 | 0 | 1 | 1 | |
南アフリカ (RSA) | 0 | 0 | 1 | 1 |
自国開催ながら、日本に敗北したアメリカのロバート・キッパス監督は、「アメリカの水泳界は日本のように統一されておらず各自バラバラに動いているのが敗因である。アメリカは日本の組織力に負けた。」と日本の田畑政治監督に語った[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 田畑政治「“30週年を迎えて”」『水泳』101・102号、日本水泳連盟、1954年8月、2-3頁。