龍海院 (前橋市)
群馬県前橋市にある寺院
龍海院(りゅうかいいん)は、群馬県前橋市紅雲町にある曹洞宗の寺院。山号は大珠山(だいじゅざん)、寺号は是字寺(ぜじじ)、本尊は釈迦如来[1][2]。前橋・姫路藩主酒井雅楽頭家の菩提寺として知られる。
龍海院 | |
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所在地 | 群馬県前橋市紅雲町2-8-15 |
位置 | 北緯36度23分10秒 東経139度3分49秒 / 北緯36.38611度 東経139.06361度座標: 北緯36度23分10秒 東経139度3分49秒 / 北緯36.38611度 東経139.06361度 |
山号 | 大珠山 |
院号 | 龍海院 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 享禄3年(1530年) |
開山 | 模外惟俊 |
開基 | 松平清康 |
正式名 | 大珠山 龍海院 是字寺 |
文化財 | 前橋藩主酒井氏歴代墓地、下村善太郎の墓(前橋市指定史跡) |
公式サイト | 曹洞宗 大珠山是字寺 龍海院 |
法人番号 | 2070005000210 |
歴史
編集1530年(享禄3年)、松平清康(徳川家康の祖父)の開基。ある日、清康は左手に「是」の字を握る夢を見た。この夢の意味を龍渓院住職の模外惟俊に問うたところ、「『是』は『日下人』に分けることができ、これを握るということは天下統一を果たす天下人になるという意味になる。清康様が果たせなくても孫の代までには実現する。」と答えた。これを聞いた清康は大いに喜び、居城の岡崎城下に模外惟俊を開山とする寺を創建した。当時の松平氏の菩提寺として大樹寺が既に存在していたので、家臣の酒井正親に管理を任せ酒井氏の菩提寺となった[3][4][5][6]。
その後の酒井氏の転封に合わせて1601年(慶長6年)に前橋藩に移転した。しかし、1749年(寛延2年)の姫路藩転封に際しては、当地に留まった[1][4]。それでも姫路藩の藩主となった酒井氏の菩提寺であり続け、明治以前に死去した酒井忠顕まで当寺に葬られている。
現在の伽藍は文政年間(1818年 - 1829年)の整備とみられ、本堂は文政12年(1829年)、御霊屋は文政10年(1827年)、山門は天保11年(1840年)の建築[1]。
文化財
編集交通アクセス
編集- 前橋駅より徒歩15分。
周辺
編集脚注
編集参考文献
編集- 群馬県高等学校教育研究会歴史部会 編『群馬県の歴史散歩(歴史散歩10)』山川出版社、2005年
- 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-寺院編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121894。 NCID BC14398038 。
- 前橋市史編さん委員会 編『前橋市史』 5巻、前橋市、1984年2月1日。
関連項目
編集- 諸嶽奕堂 - 龍海院28世。