黒瀬與重郎
黒瀬 與重郎[1][2](くろせ よじゅうろう、旧姓・高田[3]、1854年10月24日(安政元年9月3日)[4][5] - 没年不明)は、香川県多額納税者[5][6][7][8][9]、香川県の大地主[3][10][11]・家主[12]、資産家[10][12][13]。族籍は香川県平民[1][5][6][7][8]。
経歴
編集香川県仲多度郡生野村[3](後の麻野村、善通寺町[11]、現・善通寺市)、平民・高田恵八郎の四男[5][7][11]。黒瀬與吉郎の養子となり、家督を相続する[13][14]。商業を営む[1][6][注 1]。1926年、退隠する[13]。
人物
編集諱は憲直、柳渚と号して書を好み、終生これを楽しむ[2]。貝原益軒に私淑し、常にその著書を愛読する[2]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[4]。同地方屈指の大地主[3]、資産家で、香川県下の多額納税者である[13]。
與重郎の人柄は「社交界に出ることを好まず、政治を談ずることを欲せず、只詩文に親しんだ」という[3]。住所は丸亀、通町[5][6][7][13]。
家族・親族
編集- 黒瀬家
黒瀬家は大坂屋と号し、藩の御用商人をつとめた[2]。手広く醤油業を営む傍ら砂糖も取り扱い、丸亀では随一の豪商といわれていた[15]。1866年、大坂屋が数人の浪士ふうの男に襲われ、金を奪われたうえ2人の番頭が惨殺、放火された[15]。大坂屋は藩への献金もたびたび行い、藩の許可を得て砂糖市場を開いて大きな財をなしていたといわれ、庶民からは陰で恨みをかっていたという[15]。
- 養父・與吉郎[5][7](与吉郎[16]、? - 1900年[2]) - 丸亀、西平山町の豪商である[16]。諱は憲敦、字は士厚、通称は與吉郎、松渚と号した[2]。本姓は高田、入って黒瀬家を嗣ぐ[2]。
- 妻・ウズエ(1867年 - 1956年、岡山、堀和平の二女)[7][13]
- 長男・琢郎(1890年 - 1941年、法学士[13][14]、香川県多額納税者、地主[17])
- 二男[14]
- 三男・武吉郎(1898年 - ?、法学士、経済学士[14])
- 四男[13]
- 長女・サエ(1885年 - ?、香川、高田文翁の妻)[13][14]
- 二女・ツギオ(1887年 - ?、香川、鎌田勝太郎の養子憲夫の妻)[13][14]
- 三女・サキ(1892年 - ?、愛媛、大野悌の妻)[13][14]
- 親戚
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c 『明治期日本全国資産家・地主資料集成 4』香川県388頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『丸亀市史』673頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『大正人名辞典』1812頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月13日閲覧。
- ^ a b c 『貴族院多額納税者名鑑』518頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』く21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 『全国多額納税者互選名鑑』388頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年10月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第5版』く26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』く27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第16版』全国多額納税者 香川県之部20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月9日閲覧。
- ^ a b c 『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』く29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月2日閲覧。
- ^ a b 『大日本長者名鑑』四国10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第8版』ク73頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第9版』ク71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c 『讃岐人物風景 8(百花繚乱の西讃)』36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月22日閲覧。
- ^ a b 『六郷歳時記』25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月22日閲覧。
- ^ 『帝国信用録 第27版 昭和9年』香川県9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月21日閲覧。
参考文献
編集- 梅田正勝編『全国多額納税者互選名鑑』溝口摂弥、1898年。
- 『日本紳士録 第16版』交詢社、1911年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国興信所編『帝国信用録 第27版 昭和9年』帝国興信所、1934年。
- 『丸亀市史』丸亀市史刊行頒布会、1953年。
- 四国新聞社編『讃岐人物風景 8(百花繚乱の西讃)』大和学芸図書、1982年。
- 渋谷隆一編『明治期日本全国資産家・地主資料集成 4』柏書房、1984年。
- 丸亀市立城坤小学校PTA六郷歳時記編集委員会編『六郷歳時記』丸亀市立城坤小学校PTA、1984年。