黒住宗信

江戸時代後期の宗教家

黒住 宗信(くろずみ むねのぶ、1822年8月7日文政5年6月21日) - 1856年10月3日安政3年9月5日))は、江戸時代後期の宗教家黒住教2代目教主。

黒住 宗信
個人情報
生誕 1822年8月7日文政5年6月21日
備前国御野郡上中野村(現在の岡山県岡山市北区上中野)
死没 1856年10月3日安政3年9月5日
宗教 黒住教
子供 長男:黒住宗篤
両親 父親:黒住宗忠
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備前国御野郡上中野村(現在の岡山県岡山市北区上中野)出身。通称は誠弥。

経歴

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黒住教の教祖・黒住宗忠の長男として生まれ、1841年天保12年)に父の跡を継いで黒住教第2代教主となる[1]

1856年10月3日安政3年9月5日)、死去。享年35[2]

脚注

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  1. ^ 『黒住教大旨』黒住教本庁、1929年[要ページ番号]
  2. ^ 『黒住宗忠とその宗教』吉川弘文館、1962年[要ページ番号]
先代
黒住宗忠
黒住教
第2代教主
1850 - 1856
次代
黒住宗篤