初代 麗々亭 柳橋(れいれいてい りゅうきょう、生年不詳 - 1840年5月22日天保11年4月21日)は、江戸時代落語家。本名、不明、名字は久世?。俳名、柳橋庵亀好。人情噺の元祖。俗に「久世柳橋」。柳亭、柳家、春風亭などの柳派の祖。

初代 麗々亭れいれいてい 柳橋りゅうきょう
別名 柳橋庵亀好
生年月日 不詳年
没年月日 1840年5月22日
出身地 日本の旗 日本
師匠 初代船遊亭扇橋
名跡 1. 扇遊亭新橋
2. 扇遊亭新鳥
3. 舞遊亭扇蝶
4. (亭号不明)柳好
5. 初代麗々亭柳橋
活動期間 ? - 1840年
所属 柳派

初代船遊亭扇橋の門人で初名を扇遊亭?新橋から新鳥、舞遊亭扇蝶となった。扇橋と不和になり一時柳好。和解し麗々亭柳橋と改名した。

俳諧を良くした。辞世の句は「ほととぎす明かしかねたる此世かな」(『墓碣余誌』)

門人には2代目3代目柳橋初代春風亭柳枝、柳馬、柳鳥(後の2代目柳好)、柳里、柳佐、などがいた。