鹿田町
鹿田町(しかたちょう)は、岡山県岡山市北区にある町丁である。1〜2丁目からなる。なお、当地と関係の深い鹿田本町(しかたほんまち)についても当ページで説明する。
鹿田町 | |
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岡山大学病院 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
地域区分(大) | 岡山 |
地域区分(小) | 鹿田 |
人口 (2020年(令和2年)現在) | |
• 合計 | 746人 |
郵便番号 |
700-0914 |
鹿田本町 | |
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岡山県精神科医療センター(旧岡山県立岡山病院) | |
国 | 日本 |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 岡山市 |
行政区 | 北区 |
地域区分(大) | 岡山 |
地域区分(小) | 鹿田 |
人口 (2020年(令和2年)現在) | |
• 合計 | 355人 |
郵便番号 |
700-0915 |
郵便番号は鹿田町1〜2丁目が〒700-0914(岡山中央郵便局管区)、鹿田本町が〒700-0915(岡山中央郵便局管区)。人口は、鹿田町1丁目が644人(男性311人、女性333人)、同2丁目が102人(男性31人、女性71人)、鹿田本町が355人(男性188人、女性167人)。世帯数は鹿田町1丁目が368世帯、同2丁目が85世帯、鹿田本町が225世帯(いずれも令和2年12月現在)[1]。
概要
編集中心市街地の南部、旧国道2号線大供ロータリー(大供交差点)から大元駅方面へ幹線道路(岡山県道173号大元停車場線)の東側にあたる地域である[2][3]。
旧大供村の内の一部を昭和44年7月の町区改訂のときに、鹿田町1〜2丁目および鹿田本町に区分してそれぞれ独立した町区とした[3]。
当地北部および東部は大供1丁目、東部は春日町・大学町・岡町、南部は東古松および奥田本町、西部は大供2丁目および大供表町と接する[2]。
鹿田町1丁目は岡山市役所(大供1丁目所在)のすぐ南になる地域で、大供公園がある。同2丁目はその南の広い町域で、旧岡村の西部を一部併せている。岡山市水道局、国土交通省中国地方整備局岡山河川事務所、岡山大学鹿田キャンパス(医学部)、岡山大学病院などで2丁目の大半全体を占めている。また以前には消防署も所在していた。鹿田本町は、岡山県精神科医療センターが所在する[3]。
小・中学校の学区
編集公立の小・中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[4] 。
区域 | 小学校 | 中学校 |
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鹿田町一丁目 | 鹿田小学校 | 桑田中学校 |
鹿田町二丁目 | ||
鹿田本町 |
沿革
編集歴史
編集元々、東古松・大供あたりから南の十日市などの周辺一帯は、古くは御野郡に存在した鹿田荘とよばれる荘園であり、中世の見取り図も残っており、古くから開けた土地であった。江戸時代になると、10余りの村に分かれていた[3]。
明治22年の町村制実施に際し、大供村は東古松・西古松、岡、内田の4村と合併、鹿田庄に由来して鹿田村と称した。鹿田村は同31年8月、奥田村を編入。大正10年2月には、鹿田村が岡山市に編入された。このとき旧大字はそのまま継続したが、村名の鹿田は消滅となったので、歴史的に重要な名称であることから、前述の昭和44年7月の町区改訂で鹿田を冠する町丁が設定されるに至った[3]。
地名の由来
編集古代から中世における庄園・鹿田庄に由来。鹿田庄の名称由来は不明[3]。
年表
編集年月日 | 出来事 |
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明治22年6月1日 | 町村制施行により、御野郡大供村・東古松村・西古松村・岡村・内田村が合併し、同郡鹿田村を新設。 |
明治31年8月 | 奥田村が鹿田村へ編入合併。 |
明治33年4月1日 | 御野郡・津高郡が統合されて御津郡となる。 |
大正10年2月 | 鹿田村が岡山市へ編入合併。 |
昭和44年7月 | 町区改訂により、鹿田1〜2丁目および鹿田本町の町丁が設置される。 |
平成21年4月 | 岡山市が政令指定都市へ移行。行政区が設置され、北区の管轄となる。 |
平成25年5月23日 | 岡山大学鹿田キャンパス内の鹿田遺跡において、奈良時代末(8世紀後半)の井戸から、猿が馬を引く「猿駒曳(さるこまひき)」と「牛」の図柄で、国内最古となる2枚の絵馬が出土[5]。 |
主要施設
編集- 公的施設
- 教育機関
- 医療・福祉施設
- 岡山大学病院 - 鹿田町2丁目
- 岡山県精神科医療センター - 鹿田本町
- 更生保護法人備作恵済会古松園 - 鹿田本町
- 一般企業
- 史跡
- 鹿田遺跡 - 鹿田町2丁目(岡山大学鹿田キャンパス内)
- 公園
- 大供公園 - 鹿田町1丁目
交通
編集- 道路
- 岡山県道173号大元停車場線(市役所筋)
参考文献
編集- 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
- 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
脚注
編集- ^ “町丁別世帯数及び町丁,年齢(5歳階級)別人口(令和2年分)”. 岡山市役所 (2021年1月18日). 2021年2月8日閲覧。
- ^ a b 『県別マップル岡山県道路地図』昭文社(2013年)
- ^ a b c d e f 巌津政右衛門 『岡山地名事典』日本文教出版社(1974年)
- ^ “岡山市立小学校、中学校の就学に関する規則 別表第1” (PDF). 岡山市. 2020年9月30日閲覧。
- ^ “瀬戸内初 鹿田遺跡で最古の「猿駒曳(さるこまひき)」と「牛」の絵馬が出土”. 岡山大学 (2013年5月29日). 2021年2月8日閲覧。