鳥養利三郎
日本の電気工学者
鳥養 利三郎(とりがい りさぶろう、1887年2月8日 - 1976年9月24日 )は、日本の電気工学者。工学博士(1925年)。京都大学名誉教授。元京都大学総長。従二位勲一等、元日本学士院会員、文化功労者。京都市名誉市民[1]。徳島県生まれ。
黎明期の日本の電気工学界を支えた重鎮。高電圧過渡現象の測定や高周波焼入に関する研究で業績を上げた。また、教育行政においても手腕を発揮し、京都大学総長・電気学会会長・大学基準協会副会長などを務めた。特に、京都大学総長としては、戦後の混乱期を支えた名総長として知られている。
略歴
編集学歴
編集- 1887年2月 - 徳島県板野郡堀江村(現・鳴門市)に生まれる
- 1906年3月 - 徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)卒業
- 1909年7月 - 第三高等学校卒業
- 1912年12月 - 京都帝国大学理工科大学電気工学科卒業
- 1925年7月 - 工学博士。博士論文は「特別高圧変圧器の設計について」。
職歴
編集- 1912年12月 - 京都帝国大学理工科大学電気工学科講師
- 1914年7月 - 京都帝国大学工科大学電気工学科助教授
- 1919年2月 - 京都帝国大学工学部電気工学科助教授
- 1923年1月 - 京都帝国大学工学部電気工学科教授(電気工学第三講座)
- 1932年5月 - 京都帝国大学評議員(1934年5月まで)[2]
- 1941年9月 - 京都帝国大学工学部長(1943年9月まで)[3]
- 1943年10月 - 京都帝国大学工学研究所長(1945年10月まで)[4]
- 1945年11月 - 京都帝国大学(1947年以降、京都大学)総長(1951年11月まで)[5]
- 1951年11月 - 京都大学名誉教授[6]
学外における役職
編集文部省関係
編集- 1940年6月 - 学術研究会議会員
- 1942年12月 - 科学技術審議会委員
- 1947年5月 - 大学設立基準設定協議会員
- 1947年7月 - 大学基準協会副会長
- 1948年4月 - 大学設立委員会副会長
- 1949年9月 - 大学管理法案起草協議会委員[7]
学会関係
編集財団法人関係
編集- 1939年11月 - 応用科学研究所理事長[9]
- 1943年4月 - 航空軸受研究所理事長
- 1945年1月 - 生産科学研究協会理事長
- 1945年11月 - 有機合成化学研究所理事長
- 1945年11月 - 日本化学繊維研究所理事長
- 1947年1月 - 生活科学研究所理事長
- 1947年10月 - 防災研究協会理事長
- 1956年4月 - 湯川記念財団理事長[10]
- 1967年5月 - 応用科学研究所会長[11]
その他
編集- 1948年12月 - 日本学術会議会員
- 1949年10月 - 日本学士院会員[12]
- 1961年8月 - 日本ユネスコ国内委員会会長
受賞・叙勲歴
編集脚注
編集- ^ a b 京都市名誉市民 鳥養利三郎氏
- ^ 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.182。
- ^ 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.162。
- ^ 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.167。
- ^ 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.134。
- ^ 京都大学百年史編集委員会編『京都大学百年史』資料編3、2001年、p.136。
- ^ 『官報』 本文第7031号、1950年6月21日。
- ^ 歴代会長一般社団法人電気学会
- ^ 応用科学研究所五十年史、1972年、p.8。
- ^ 湯川記念財団 その沿革と事業 昭和30年-昭和52年、1979年、p.5。
- ^ 応用科学研究所五十年史、1972年、p.40。
- ^ 『官報』 本文第6827号、1949年10月14日。
- ^ 『官報』 本文第3260号、1937年11月12日。
- ^ 『官報』 本文第11369号、1964年11月4日。
- ^ 『官報』 本文第14357号、1974年11月7日。
- ^ 『官報』 本文第14938号、1976年10月22日。
外部リンク
編集
学職 | ||
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先代 正木良一 |
電気学会会長 第31代:1944年 - 1945年 |
次代 馬場粂夫 |