鳥谷規
鳥谷 規(とりたに ただし)は、ニッポン放送編成局シニアマネージャー、元ラジオプロデューサー、ディレクター。
とりたに ただし 鳥谷 規 | |
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生誕 |
1959年??月??日 日本 東京都練馬区 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 上智大学理工学部電気電子工学科 |
職業 | ラジオディレクター、プロデューサー |
活動期間 | 1983年 - 現在 |
雇用者 | ニッポン放送 |
著名な実績 | 日本民間放送連盟賞ラジオ生ワイド番組部門 優秀(2006年) |
肩書き |
ニッポン放送編成局シニアマネージャー 元ラジオプロデューサー、ディレクター |
来歴
編集東京都練馬区出身。東京学芸大学附属大泉中学校、東京学芸大学教育学部附属高等学校、上智大学理工学部電気電子工学科卒業後の1983年4月、ニッポン放送入社。 同期は、元同社、フジテレビアナウンサーである桜庭亮平。
制作部在籍時は主に夜、深夜の時間帯の番組を担当しており『谷山浩子のオールナイトニッポン』担当時代は、1部の『ビートたけしのオールナイトニッポン』と並行して担当していた事もあり[1]、たけしには放送後のお見送り等丁寧に扱う為に、谷山がラジオブースに居ても、放送時間迄にサブに戻らずミキサーにキュー振りをさせたり、谷山本人に無茶振りを繰り返した事で、通称:「鬼ディレクター」、「放任主義サディストデビル」と呼ばれており、『オールナイトニッポン』関連番組で何度も紹介されている。 ビートたけしからは身長が低く小柄なことから「腹話術人形」と呼ばれていた。
2006年、『ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない』で日本民間放送連盟賞ラジオ生ワイド番組部門優秀賞を受賞。
後に、エンターテインメント開発局マーチャンダイジング部長、2012年7月人事にて、ライツ・新規ビジネス推進室長・部長に昇進[2]。
2017年、デジタルソリューション部部長、制作局制作部ゼネラルプロデューサーを経て、2017年7月人事にて、編成局シニアマネージャーとなる。また、マンガ大賞実行委員会のスーパーバイザーも務める[3]。
担当番組
編集現在
編集- オールナイトニッポンPremium(プロデューサー)
過去
編集ラジオ
編集- ヤングパラダイス(ディレクター)※高原兄時代 - 1983年5月2日 - 1984年2月2日
- 谷山浩子のオールナイトニッポン(ディレクター) - 1985年4月4日 - 9月26日
- ビートたけしのオールナイトニッポン(ディレクター) - 1985年4月 - 1987年6月
- 大江千里のオールナイトニッポン(ディレクター) - 1991年
- 本谷有希子のオールナイトニッポン(ディレクター) - 2005年4月1日 - 2006年3月31日
- ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない(プロデューサー) - 2006年
- 石原さとみ SAY TO ME!(企画)
テレビ
編集- ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV(BSフジ)※プロデューサー、チーフディレクター - 2000年
- 1242kHz こちらニッポン放送(フジテレビ)※コーディネート - 2005年
その他
編集舞台
編集- ねもしゅー(根本宗子)企画vol.2 ねもしゅーのおとぎ話 ファンファーレサーカス(プロデューサー) - 2016年2月11 - 14日
- 演劇集団キャラメルボックス RO-DOKU音戯草子2011「99のなみだ」(演出) - 2011年6月
- 劇団☆新感線「BEAST IS RED~野獣郎見参!」(エグゼクティブプロデューサー) - 2001年
脚注
編集- ^ あの伝説の番組が帰ってきた! ビートたけしのオールナイト文春 文藝春秋
- ^ 連合通信放送映画速報 2012年7月4日付
- ^ 『マンガ大賞2018 マンガ読みが選ぶ2017年の一推!!』(PDF)(プレスリリース)マンガ大賞実行委員会、2018年3月22日 。2018年4月1日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 鳥谷規 (@toritanitadashi) - X(旧Twitter)
- 鳥谷規 (tadashi.toritani) - Facebook