鮮于 丹(せんう たん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の呉にかけての武将。孫権に仕えた。
呂蒙に従って長沙郡など3郡の攻略に参加した[1]。黄武元年(222年)の夷陵の戦いでは陸遜に従って蜀漢の劉備軍と戦った[1]。以後も各地を転戦し、黄武2年(223年)には賀斉に従って魏に降伏した晋宗と戦い生け捕りにした。黄武5年(226年)、魏の曹丕(文帝)の死去に乗じて魏に攻め入り、孫奐に従って5000人の兵を率いて江夏の高城を攻め落とした[1]。