鮫島 敬治(さめじま けいじ、1932年2月20日 - 2004年12月26日)は、日本のジャーナリスト。
1956年に大阪外国語大学卒業後、日本経済新聞社に入社。
北京特派員時代に文化大革命の混乱で中国当局にスパイ容疑で拘束され、1968年6月から約1年半にわたって抑留生活を送った[1]。
その後、編集委員兼論説委員や論説副主幹、大阪本社編集局長を経て、1985年に取締役、1989年に常務、1992年に専務に就任。
2004年12月に呼吸不全死去[1]。