鮎ヶ瀬 実光(あゆがせ さねみつ)は、戦国時代武将那須七騎伊王野氏の家臣。

 
鮎ヶ瀬実光
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:弥五郎[1][2][3]、介右衛門尉[4]
官位 豊後守(受領名)[5]
主君 伊王野資宗
氏族 鮎ヶ瀬氏
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略歴

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伊王野氏に仕え各地を転戦し戦功を挙げる。弓の名手としても知られた実光は、天文18年(1549年)の伊王野氏の主家那須氏宇都宮氏が戦った喜連川五月女坂の戦いでは、芦野の陣より走り出て、那須勢の奇襲を受けて動揺する味方を統制しようと前線に出た宇都宮氏当主・宇都宮尚綱の胸板を一矢で射抜いて討ち取ったという[2][3][6]

尚綱を討った功により主君・伊王野資宗から豊後守を賜る[5]。その後、永楽銭10貫を投じて五月女坂に、尚綱の鎮魂のための石碑を建立した[5]。その由来からこの地を十貫弥五郎坂という[5]

現在、その子孫は真岡市遍照寺の住職を務めている。

脚注

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  1. ^ 『那須由緒』
  2. ^ a b 『那須記』
  3. ^ a b 『宇都宮興廃記』
  4. ^ 『栃木県史 資料編・中世五』(昭和51年栃木県発行)p214掲載『那須記 宇都宮俊綱最後事』
  5. ^ a b c d 『那須七系』
  6. ^ 『史料綜覧』第9編之910 303頁

出典

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  • 『那須譜見聞録』(所収 『那須由緒』)
  • 『下野国志』(所収 『那須記』)
  • 『宇都宮興廃記』
  • 『那須七系』(伊王野資宗項)