魔縁(まえん)とは、仏教用語で、障魔となる縁(三障四魔)のこと。また特に第六天魔王波旬を指す。また、いわゆる慢心の山伏である妖怪の天狗、即ち魔界である天狗道に堕ちた者たちを総称していう場合もある。

仏教の魔縁

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三障四魔(さんしょうしま)とは

三障(: āvarana-traya
聖道を妨げ、善根を生ずることを障害する3つ
煩悩障
仏道の妨げの心、貪・瞋・痴(とんじんち)の三毒の煩悩によって仏道修行を妨げる働き
業障
魂に刻まれた業、言語・動作、または心の中において悪業を造り、為に正道を妨げる働き
報障
因果応報、悪業によって受けたる地獄餓鬼畜生などの果報の為に妨げられる働き
四魔(: catovāro-mārāh
生命を奪い、またその因縁となる4つ、またそれを悪魔にたとえたもの
陰魔
正しくは五陰魔(ごいんま)といい、心身からくる妨げで、色・受・想・行・識の五陰が、和合して成ずる身体は種々の苦しみを生じる働きをいう。五蘊魔(ごうんま)ともいう
煩悩魔
煩悩障におなじ、心身を悩乱して、菩提・悟りを得る障りとなるから煩悩魔という
死魔
修行者を殺害する魔、死は人命を奪うから死魔という
天子魔
第六天魔王(天魔マーラ・パーピーヤス、魔羅波洵他化自在天ともいう)の働き

のこと。

仏魔

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仏や仏法にとらわれて、かえってその人の修行の妨げとなり、魔に等しき存在になってしまうこと、仏縛。法縛。

天狗の魔縁(外道、外法)

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本来、天狗は中国の彗星などのことであったが、日本に伝わると平安時代以降、名利をむさぼり慢心をもつ傲慢で自我に捉われた修験僧(山伏)のこととされるようになり、そして、山の妖怪である天狗を指すようになった。

そのような修験僧は、死後に天狗道という魔界に転生すると考えられるようになった。

したがって、天狗道は仏教の六道の範疇にないことから、その六道の輪廻からも外れた魔界であるとされる。仏教の知識があるため人間道には戻れず、特に宗教上の罪を犯したわけではないため地獄道、餓鬼道、阿修羅道、畜生道には堕ちず、かといって信心には無縁であるため天道にも行けず、天狗道に堕ちるとされる。そのため、6つの道から外れて救済不能な道、あるいはその道の者を外道と俗称する(しかし外道の本来の意味は、悟りを得る内道を説く仏教に対し、それ以外の六師などの教えを指していうのが通常の用法である)。

天狗道という言葉自体は14世紀成立の『太平記』巻二十七に記載が見られる他、18世紀談義本天狗芸術論』巻之四において、天狗界として説明が記述されており、大天狗が「己の小ざかしい知恵に慢心し、人を侮り、人の騒動を喜び、この喜びを是非や得失の基準とし、無事を楽しむことを知らず、己が欲することを絶対視し、反省せず、従う者を是、従わぬ者を非とする」と木の葉天狗達に語り、戒めている。

天狗は慢心の山伏がなるもので、その姿は山林に住む鳥そのものだという。修行する者にとって、仏道を妨げるものの一つとして、怪異な音は、鳥の声や羽ばたきだったとも言われる。

大魔縁 崇徳院

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五部大乗写経をして怨念をもって死んだ崇徳天皇は、「日本国の大魔縁になる」と言い残したとされる。しかし、現在では白峯神宮の神となっている。

関連項目

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