高階積善
日本の平安時代の貴族
高階 積善(たかしな の もりよし/せきぜん)は、平安時代中期の貴族・漢詩人。式部大輔・高階成忠の八男。官位は従四位下・民部大輔。
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従四位下・民部大輔 |
主君 | 一条天皇→三条天皇 |
氏族 | 高階氏 |
父母 | 父:高階成忠 |
兄弟 | 助順、信順、明順、道順、積善、静昭、貴子、光子、大江為基室 |
経歴
編集一家は漢学の家系で、父・成忠のほか、姉妹・貴子(高内侍)や、貴子所生の藤原伊周も文才を以て聞こえた。
紀伝道を学び、伊予掾・宮内少丞・弾正少弼・左少弁・民部大輔などの官を歴任し、三条朝の寛弘9年(1012年)正五位下に叙せられ、長和3年(1014年)従四位下に至る。中関白家の外戚であったことから、長徳2年(996年)の長徳の変による伊周・隆家兄弟の失脚後は官途に恵まれず、不遇のうちに没した。長和4年(1015年)の敦良親王読書始に名がみえないことから、この頃没したと思われる。
人物
編集式部卿宮・敦康親王の大叔父でもあり、親王邸で開かれた詩宴の作に「外家夙夜の遺老」と自称して、卑官でありながら外戚を気取っているのを世人が嘲笑したという[1]。
寛弘7年(1010年)頃に自身の作を含む当代のすぐれた漢詩を集めた『本朝麗藻』を編纂。一条朝の代表的な詩人の一人で、内裏(一条天皇)や左府(藤原道長)主催の作文会にしばしば招かれ、『本朝文粋』『類聚句題抄』などに併せて十数首の漢詩を残している。
官歴
編集注記のないものは『弁官補任』による。