高良弼
高 良弼(こう りょうすけ[1]、1886年(明治19年)4月23日[2] - 1979年(昭和54年)10月25日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等[3]。
高 良弼 | |
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生誕 |
1886年4月23日 日本 山口県 |
死没 |
1979年10月25日(93歳没) 日本 東京都世田谷区 自衛隊中央病院 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1909年 - 1937年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 |
東満洲産業取締役 親和貿易取締役 |
経歴
編集山口県出身[2]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第29期卒業卒業[2]。1925年(大正14年)5月、陸軍歩兵少佐に進級し[4]、同年9月時点で歩兵第27連隊附の任にあった[4]。1926年(大正15年)3月に歩兵第14連隊大隊長に就任し[5]、1928年(昭和3年)3月、歩兵第48連隊附となり、佐賀県師範学校に配属された[6]。1929年(昭和4年)8月、陸軍歩兵中佐に進級し[7]、1931年(昭和6年)8月に歩兵第70連隊附となった[8]。
1933年(昭和8年)3月、第16師団司令部附となり[1]、同志社大学に配属され[1]、8月に陸軍歩兵大佐に進級した[1]。1934年(昭和9年)2月に大分連隊区司令官に転じ[1]、1935年(昭和10年)12月に歩兵第75連隊長(第19師団・歩兵第38旅団[9][10])に着任した[1]。1937年(昭和12年)10月13日、第19師団司令部附となり[2]、11月1日に陸軍少将進級と同時に待命となり[1]、11月30日に予備役に編入された[1]。
予備役編入後は東満洲産業取締役[11][12]、親和貿易取締役を務めた[3]。晩年は心臓を患い、1979年(昭和54年)10月25日に自衛隊中央病院で死去した[13]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[14]
脚注
編集- ^ a b c d e f g h 外山 1981, 266頁.
- ^ a b c d e 福川 2001, 296頁.
- ^ a b 人事興信所 1941, コ114頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調251頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調232頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調207頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調166頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調114頁
- ^ 外山・森松 1987, 400頁.
- ^ 外山・森松 1987, 401頁.
- ^ 鉱業之日本社 1940, 443頁.
- ^ 鉱業之日本社 1940, 444頁.
- ^ 『偕行』第348号、陸修偕行社、1979年12月、28頁。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 人事興信所 編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年 。
- 鉱業之日本社 編『日満支鉱業要覧 昭和15年度版』鉱業之日本社、1940年 。