高橋剛 (彫刻家)
高橋 剛(たかはし ごう、本名の読み:たかはし たけし[3]、1921年(大正10年)8月31日 - 1991年(平成3年)9月5日[3])は日本の彫刻家。山形県酒田市出身[2]。
高橋 剛 (たかはし ごう) | |
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生誕 |
高橋 剛(たかはし たけし) 1921年8月31日 |
死没 |
1991年9月5日(70歳没) 東京都新宿区[3][1] |
国籍 | 日本 |
受賞 |
内閣総理大臣賞 – 第13回日展 1981年 「房総の女」 [1][3][2][4] 日本芸術院賞恩賜賞 – 第17回改組日展 1986年 「稽古場の踊り子」 [1][3] |
影響を受けた 芸術家 | 北村西望[1][2][3] |
バレリーナをモチーフとした彫刻で知られ[1]、昭和30年代(1955年 - 1964年)中頃まで木彫を中心に制作したが後に塑像へ転向した[1]。
略歴
編集1921年(大正10年)8月31日、神社仏閣の木彫を生業とする生家に生まれる[2]。祖父は宮彫師、父は日本美術院所属の仏教彫刻家[1]。父に師事し木彫を始める[1]。
1940年(昭和15年)上京、翌1941年(昭和16年)東京美術学校入学、関野聖雲に師事[1][2][3]。1946年(昭和21年)東京美術学校(現東京芸術大学)卒業[1]。
1947年(昭和22年)、第3回日展に初入選[3]。1949年(昭和24年)より北村西望に師事[1][2][3]。1954年(昭和29年)第10回日展にて「バレリーナ」を出品後、同モチーフを追い求めるようになり[1]、1956年(昭和31年)第12回日展・1957年(昭和32年)第13回日展・1958年(昭和33年)第14回日展の3年連続で特選を受賞[1][3][5]。1960年(昭和35年)より日展会員[1][3]。1961年(昭和36年)、日本芸術院賞恩賜賞[3]受賞。1962年(昭和37年)より日本彫塑会会員[3]。
1981年(昭和56年)、第13回日展にて内閣総理大臣賞[4][1][3][2]。1986年(昭和61年)日本芸術院賞恩賜賞受賞[1][3]。
1987年(昭和62年)日本彫刻会理事、委員長に就任[1]、同年東京家政大学名誉教授[1]。
1991年(平成3年)6月、故郷の芸術振興を目的として石膏原型178点を酒田市に寄贈[2]。同年9月5日、脳出血のため東京都新宿区の病院で死去[3][1]。
評価
編集「鍛えぬかれたバレリーナの肉体をモチーフに、そこに宿る清新な精神の表出を試みた」[1]「堅実な写実をもって、無駄のない肉付けとバランス感覚、生命感ある躍動的なフォルムの中に、永遠の女性美を求めている」[6]などの評価がある。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「高橋剛」(1991年9月5日)、2016年1月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h "高橋剛 作品". 酒田市美術館. 2016年1月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」. “高橋剛 たかはし-ごう”. コトバンク. 2016年1月10日閲覧。
- ^ a b “大臣賞受賞者一覧(昭和33年~現在)”. 日展. 2015年1月10日閲覧。
- ^ “特選(彫刻)受賞者一覧 (昭和33年~現在)”. 日展. 2016年1月10日閲覧。
- ^ “高橋 剛 Go TAKAHASHI”. 越後製菓. 2016年1月10日閲覧。会社説明より下段。