高梨頼治
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 天文24年(1555年) |
別名 | 通称:源五郎 |
氏族 | 高梨氏 |
父母 | 父:高梨政頼、母:岩井式部大輔成能娘? |
兄弟 |
頼治、秀政、中条景資正室、頼親、 於北(真田信綱正室)、内記? |
妻 | 正室:村上義清娘 |
略歴
編集高梨政頼の子として誕生。
高梨氏は信濃国北部の有力国人であり、近隣の信濃村上氏と勢力を競っていたが、甲斐国の武田晴信が信濃に進出すると、和睦して、共に甲斐武田氏とあたるようになった。のちに両氏の和睦の証として頼治は村上義清の娘を娶った。
天文24年(1555年)、第二次川中島の戦いで討死したと言われているが、このとき真田幸綱に重傷を負わせるほど奮戦したという。
出典
編集- 『信濃高梨一族』(志村平治)