高松クレーター
概要
編集重力異常によって高松市内の地下にクレーター状の地下構造が存在する事が判明した。それによりこの地下構造は高松クレーターと呼称される。
調査の結果、衝撃石英が発見された事もあり、隕石のような小天体の衝突を成因とする仮説が裏付けられたかにみえたものの[1][2][3]、実際には古代の噴火口の跡との説が有力である[4][5][6][7][8]。1990年代初頭に渇水の時期があり、豊富な地下水が期待されていたが[9]、調査の結果は芳しくなかった。
脚注
編集- ^ 河野芳輝, 古本宗充, 長尾年恭, 國友孝洋, 山田守「P04 四国高松南部のクレータの構造(ポスター講演)」『日本惑星科学会秋期講演会予稿集』第1994巻、日本惑星科学会、1994年10月、P04、NAID 110009392065。
- ^ 河野芳輝「高松南部のクレーター状構造」『地震学会1991年秋季大会講演要旨』第99巻、1991年、NAID 10025997483。
- ^ "日本にも巨大隕石が落下していた? 高松市南部で発見されたクレーター 日本初の隕石孔発見となるか." ニュートン 14.10 (1994): 48-53.
- ^ 長谷川修一「高松クレーター論争の検証」『応用地質』第50巻第6号、日本応用地質学会、2010年2月、336-344頁、doi:10.5110/jjseg.50.336、ISSN 02867737、NAID 10025997482。
- ^ 長谷川修一「高松クレーターの成因と地下水」『地下水技術』第49巻第10号、地下水技術協会、2007年10月、1-8頁、ISSN 09164154、NAID 40015692687。
- ^ 石井秀明, 長谷川修一「444. 高松市南部のクレーター状構造の成因と水理地質」『日本地質学会学術大会講演要旨』第101年学術大会(94' 札幌)、日本地質学会、1994年、282頁、doi:10.14863/geosocabst.1994.0_282_1、ISSN 1348-3935、NAID 110003029999。
- ^ 長谷川修一, 石井秀明「53. 高松市クレーターは隕石の衝突跡か」『日本地質学会学術大会講演要旨』第102年学術大会(95’広島)、日本地質学会、1995年、102頁、doi:10.14863/geosocabst.1995.0_102、ISSN 1348-3935、NAID 110003030165。
- ^ * 山田涼子, 佐藤博明「香川県高松クレーター産ガラスの岩石学的研究」『岩鉱 : 岩石鉱物鉱床学会誌』第93巻第8号、日本鉱物科学会、1998年8月、279-290頁、doi:10.2465/ganko.93.279、ISSN 09149783、NAID 10002090300。
- ^ 川崎憲介「高松にダム7杯分の地下水 : 阻石クレータか,カルデラ跡か」『電気学会誌』第115巻第6号、電気学会、1995年、376-376頁、doi:10.1541/ieejjournal.115.376、ISSN 1340-5551、NAID 130000753401。