高来神社
神奈川県中郡大磯町にある神社
高来神社、高來神社[1](たかく じんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町高麗(こま)に鎮座する神社。高麗神社(こまじんじゃ)とも呼ばれる。旧社格は郷社。
高来神社 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 神奈川県中郡大磯町高麗2丁目9-47 (〒255-0001) |
位置 | 北緯35度19分20.0秒 東経139度19分28.5秒 / 北緯35.322222度 東経139.324583度座標: 北緯35度19分20.0秒 東経139度19分28.5秒 / 北緯35.322222度 東経139.324583度 |
主祭神 | 神皇産霊尊、天津彦穂邇々伎尊、応神天皇、神功皇后 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 神武天皇朝 |
別名 | 高麗さん(こまさん) |
由緒
編集中世の戦乱等により書物が焼失したため起源は明らかでないが、神武天皇の時代の創建とする記録があるという。
かつては高麗山の山頂に上宮があって高麗権現社といい、右の峰に白山権現を、左の峰に毘沙門天を勧請して「高麗三社権現」と称した。
高句麗が新羅・唐連合軍に滅ばされた時に、その王族・若光を中心に高麗人が相模国大磯に渡来し、その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡(こまぐん)に集められ、高麗神社も設立したという。高来神社の例大祭「御船祭」の木遣歌「権現丸」に、「高麗国守護」が渡来して、「大磯浦の守護」となったとある。[3]
また古来武門の信仰が篤く、鎌倉期に将軍源頼朝が正室北条政子の安産祈願をして、戦国時代には後北条氏がわずかな領地を寄進したという文献があるという。
祭神
編集年表
編集祭事
編集交通
編集脚注
編集参考文献
編集- 「二ノ宮庄 高麗寺村 高麗権現社」『大日本地誌大系』 第37巻新編相模国風土記稿2巻之41村里部淘綾郡巻之3、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179210/167。