高村氏
日本の氏族
高村氏 | |
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種別 |
公家 華族(男爵) |
著名な人物 |
高村忌寸 高村宿禰 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
古代の高村氏
編集高村忌寸
編集高村漢人の末裔にして、もとは高村村主と称したが、その後、春原連姓を与えられ、その後、高村氏に改める。延暦4年(785年)4月、正六位上春原連田使、従七位下春原連眞木山等、高村忌寸の名を与えられたという[1]。
高村宿禰
編集前項の一族。高村宿禰と名乗る。弘仁2年(811年)2月の記録として、右京人従五位上高村忌寸田使、高村忌寸眞木山、宿禰姓を賜るという[1]。
陸奥国の高村氏
編集耶麻郡上三宮村の名族であるという。神職であるといい、権太夫義景の代に吉田家より免許状を授かると伝える。その六世、能登尚養はもとは大和国の人なりというが、陸奥国会津に至り、三島神社の奉職するという[1]。
常陸国の高村氏
編集常陸国久慈郡下小川村の名族に高村氏ありという。家紋は鷹の羽[1]。本姓は平氏で桓武平氏流と伝え、他に丸に違い鷹の羽、丸に三つ引を用いる家もある[2]。
秋田藩士 高村氏
編集高村大和守通武は一峯公の命にて、佐竹東家の中務大輔政義に仕えるという。子孫は佐竹東家の家臣となる。右馬助董通は佐竹山城守義久に仕えて鉄砲組300人を指揮するという。慶長7年(1602年)、通信の代に秋田転封に随い、出羽国に下向するが、通信の弟左門は流離し常陸国で没するという[3]。
高村大和守通武 - 右馬助董通 - 右市助通信 - 通孝 - 則通 - 右市助等通
水戸藩の志士・義民としての高村氏
編集脚注
編集参考文献
編集- 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
- 秋田県公文書館編『系図目録I (PDF) 』(秋田県、2001年)
- 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)
- 日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)
- 常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)