高時福
高 時福(コ・シボク、고시복)は日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の軍人。別名は高一鳴[1]。
高時福 | |
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生誕 |
1911年4月18日 日本統治下朝鮮黄海道安岳郡 |
死没 |
1953年5月8日(42歳没) 大韓民国江原道原州郡 |
所属組織 |
国民革命軍 韓国光復軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
少尉(中国軍) 正領(光復軍) 少将(韓国陸軍) |
墓所 | 国立ソウル顕忠院将軍第1墓域20号 |
経歴
編集1911年、黄海道安岳に生まれる[1]。1931年、日本の中京商業学校を卒業。後に上海に亡命。金九の韓人愛国団に加入し、国内外で軍資金募集、密偵処断、機密文書の受け渡しなどの活動をした[2]。
1936年6月、中央陸軍軍官学校第10期卒業[1]。中国軍第9師に服務し、対日戦に参加。日中戦争が勃発すると、徐州や南口などの戦闘に参加した[2]。
1940年9月、光復軍が創設されると総司令部副官[1]。西安総司令部幹部や第2支隊幹部を歴任し、綏遠省包頭で工作活動[1]。
1942年12月24日、臨時政府軍務部員[1]。
1943年3月30日、臨時政府内務部総務科長[3]。
1944年5月31日、臨時政府内務部民政科長[4]。
1945年4月、光復軍総司令部に勤務[1]。
1946年12月、警備士官学校第2期卒業、任少尉(軍番10343番)。
1947年、警備士官学校行政部長[5]。
1949年6月18日、第7連隊長(中佐)[6]。
1950年9月26日、ソウル地区兵事区司令官[8]。
1950年10月25日、第30連隊長(大佐)[9]。
1951年2月27日、江原道地区兵事区司令官[10]。
1953年4月26日、ソウル地区兵事区司令官[8]。
1953年5月8日、江原道地区に出張中、原州で心臓麻痺により死亡[11]。
1967年4月14日、国立ソウル顕忠院将軍墓域に安葬。植民地時代の独立運動に参加していたが、独立有功者に認められたのが1977年のため、独立有功者墓域ではなく将軍墓域に埋葬された[2]。
1977年、建国褒章を受章[1]。
1990年、建国勲章愛国章を受章。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i 韓 1993, p. 320.
- ^ a b c “장군 묘역도 친일파-독립운동가 나란히... 씁쓸하네요” (朝鮮語). オーマイニュース. (2021年5月3日) 2021年9月7日閲覧。
- ^ “韓国臨時政府部署別職員名簿” (韓国語). 国史編纂委員会. 2021年9月7日閲覧。
- ^ “韓国独立運動史資料「16. 臨時政府職員選解任簿」” (韓国語). 国史編纂委員会. 2021年9月7日閲覧。
- ^ “남기고 싶은 이야기들(3604) 제79화 육사졸업생들(57) 3기생”. 中央日報. (1983年1月6日) 2021年9月7日閲覧。
- ^ 佐々木 1983, p. 196.
- ^ 佐々木 1983, p. 213.
- ^ a b 兵務庁 1986, p. 803.
- ^ 国防部戦史編纂委員会 1988, p. 241.
- ^ 兵務庁 1986, p. 804.
- ^ “高兵事司令官死去” (朝鮮語). 京郷新聞. (1953年5月10日)
参考文献
編集- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』(第4刷)原書房、1983年。ISBN 4-562-00798-2。
- 兵務廳 (1986). 兵務行政史 上巻. 兵務廳
- 韓詩俊 (1993). 韓國光復軍研究. 一潮閣. ISBN 8-9337-0078-1. NCID BA36932080
- “對非正規戰史(1945~1960)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年2月8日閲覧。
軍職 | ||
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先代 - 延日守 |
大韓民国陸軍ソウル地区兵事区司令官 初代:1950.9.26 - 1950.10.16 第4代:1953.4.26 - 1953.5.8 |
次代 白洪錫 厳柱明 |
先代 呉光鮮 |
大韓民国陸軍江原道地区兵事区司令官 第2代:1951.2.27 - 1952.11.15 |
次代 韓王龍 |