高崎(たかさき)は、日本海軍給油艦。軽質油運搬艦である洲埼型給油艦の2番艦。

高崎
基本情報
建造所 三菱重工業横浜船渠[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送艦[2](揮発油運搬艦(小)[3]
級名 洲埼型[2]
建造費 成立予算 7,300,000円[4]
母港 横須賀[5]
艦歴
計画 マル臨計画[6]
起工 1942年7月16日[6]
進水 1943年5月3日[6]
竣工 1943年9月2日[6]
最期 1944年6月5日沈没
除籍 1944年7月10日[7]
要目(計画)
基準排水量 4,465英トン[8]
公試排水量 4,700トン[8]
満載排水量 4,281.5トン[8]
全長 108.50m[8]
水線長 106.00m[8]
垂線間長 102.00m[8]
最大幅 15.00m[8]
深さ 9.30m[8]
吃水 公試平均 5.00m[8]
満載平均 5.11m[8]
ボイラー 補助缶:ホ号艦本式缶[9]2基[10]
主機 MAN式四号ディーゼルエンジン2基[10]
推進 2軸 x 158rpm[10]
直径2.900m[10]、ピッチ2.760m[11]
出力 4,500馬力[8]
速力 16.0ノット[8]
燃料 重油 240.00トン[8]
航続距離 4,000カイリ / 14ノット[8]
乗員 計画乗員 161名[12]
竣工時定員 168名[13]
搭載能力 補給物件(計画)[14]
軽質油1,500kL
機関用潤滑油150kL
真水50トン
25mm機銃弾薬200トン
航空機材5トン
野菜8トン(500人、10日分)
兵装 45口径十年式12cm高角砲 単装2門[15]
25mm機銃 連装2基[15]
搭載艇 9m内火艇1隻、9mカッター2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船1隻[16]
その他 20トン・クレーン1基[17]、5トン・デリック1基[18]
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艦名は3代目。由来は島根県隠岐西ノ島の岬の名、また対馬舟志湾内の高崎鼻によるという2つの説がある[19][注釈 1]

艦歴

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1940年(昭和15年)度マル臨計画により三菱重工業横浜船渠で建造され、1943年(昭和18年)9月2日に竣工。横須賀鎮守府籍となり、同日に海軍省付属とされる[20]。「高崎」の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、門司に回航の後、9月15日門司発のサ13船団に加入して昭南(シンガポール)に向かう[20][21]。9月28日に昭南に到着の後、油類を搭載して10月3日に昭南を出港[22][23]高雄に寄港の後[23]、門司へ向けて最後の航海を行っていたが、10月14日にアメリカ潜水艦「グレイバック」の攻撃で特設運送船(給油・応急タンカー)「高瑞丸」(高千穂商船、7,072トン)が沈没した[24]グアム方面への航海の後[20]、12月中に昭南へ一航海行う[20]。帰途は海防艦対馬」が護衛する12月26日昭南出港のヒ26船団に加入[25][26]1944年(昭和19年)2月5日付で連合艦隊付属に編入されたが[20]、引き続き輸送任務に従事した。

2月21日、「高崎」はヒ47船団に加入して門司を出港し[20][27]。以後、南方に進出してバリクパパンマニラパラオサイパン島方面への燃料輸送に従事する[20]。6月1日、「高崎」は海防艦干珠の護衛を受けてヤップ島を出港した[28]。途中で特務艦「足摺」と合同し[注釈 2]スールー海を航行中の6月5日に北緯06度32分 東経120度40分 / 北緯6.533度 東経120.667度 / 6.533; 120.667のクラシアン島近海でアメリカ潜水艦「パファー」に発見された[29]。「パファー」は魚雷を7本発射して全てが命中したと判断され[30]、「高崎」と「足摺」はこの攻撃により沈没した。7月10日に除籍された[20]

歴代艦長

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艤装員長
  1. 吉田利喜蔵 大佐:1943年7月1日[31] - 1943年9月2日[32]
特務艦長
  1. 吉田利喜蔵 大佐:1943年9月2日[32] - 1944年6月15日[33]

同型艦

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脚注

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注釈

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  1. ^ 先代である2代目の剣埼型潜水母艦「高崎」(後の空母瑞鳳)は1928年(昭和3年)の資料で対馬国の高崎鼻が由来とされている* 1928年 東京水交社 出版 浅井将秀 編 「#日本海軍艦船名考」P.75〔高崎 たかさき Takasaki. 岬名(對島國舟志灣内高崎鼻)ニ採ル。〕
  2. ^ #日本の軍艦13p.45 、#木俣空母pp.598-599 では、「足摺」が6月1日にいたのはヤップ島となっているが、#MS30 1904#MS30 1905を見る限りでは、6月1日の時点で「足摺」はヤップ島ではなくバリクパパンにおり、「高崎」とは道中で合流したことになる。

出典

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  1. ^ #S17達/12月(2)画像19-20『達第三百四十五號 昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ潜水艦三隻、海防艦一隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年十二月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎(中略)三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 高崎(タカサキ)』
  2. ^ a b #S17.10-12内令4巻/昭和17年12月(4)画像42-43『内令第二千三百九十五號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十二月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 運送艦、足摺型ノ項中「足摺」ノ下ニ「、塩屋」ヲ、同洲埼型ノ項中「洲埼」ノ下ニ「、高崎」ヲ加フ』
  3. ^ #昭和造船史1pp.794-795。
  4. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.805
  5. ^ #S18.9-10内令4巻/昭和18年9月(2)画像35『内令第千八百三十四號 特務艦高崎 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 横須賀鎮守府在籍 特務艦高崎 右在役特務艦ト定ム 昭和十八年九月二日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  6. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1p.809
  7. ^ #S19.1-7内令/昭和19年7月画像13-14『内令第八四二號(中略)横須賀鎮守府在籍 特務艦足摺 特務艦高崎 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和十九年七月十日 海軍大臣』
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」2頁。
  9. ^ #海軍造船技術概要p.888
  10. ^ a b c d 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」24頁。
  11. ^ #海軍造船技術概要下巻p.1726
  12. ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」27頁。
  13. ^ #S18.5-6内令2巻/昭和18年5月(5)画像27『内令第九百五十四號 海軍定員令中左ノ通改正セラル 昭和十八年五月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 運送艦定員表其ノ十一ヲ別表ノ如ク定ム(別表一葉添)』、同画像36『| 第九十一表ノ七 | 運送艦定員表 其ノ十一 | | 洲埼 |(詳細備考略)|』士官10人、特務士官2人、准士官5人、下士官40人、兵111人。#S18.9-10内令4巻/昭和18年9月(2)画像36『内令第千八百三十六號 海軍定員令中左ノ通改正セラル 昭和十八年九月二日 海軍大臣 嶋田繁太郎 運送艦定員表其ノ十一中「洲埼」ノ下ニ「、高崎」ヲ加フ』
  14. ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」33頁
  15. ^ a b 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」5頁。
  16. ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」30頁。
  17. ^ #写真日本の軍艦第13巻p.25
  18. ^ #日本海軍特務艦船史p.25
  19. ^ #片桐p.589
  20. ^ a b c d e f g h #日本の軍艦13p.46
  21. ^ #一護1809p.33
  22. ^ #一護1810p.14
  23. ^ a b #駒宮p.93
  24. ^ #高瑞丸
  25. ^ #海防艦戦記p.127
  26. ^ #一護1812p.24
  27. ^ #一護1902p.46
  28. ^ #海防艦戦記p.171
  29. ^ #SS-268, USS PUFFERp.152
  30. ^ #SS-268, USS PUFFERpp.175-176
  31. ^ 昭和18年7月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1162号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092000 
  32. ^ a b 昭和18年9月3日付 海軍辞令公報(部内限)第1206号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092800 
  33. ^ 昭和19年6月17日付 海軍辞令公報 甲(部内限)第1515号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030139800『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 (第一海上護衛隊)戦時日誌』、21-46頁。 
    • Ref.C08030139900『自昭和十八年十月一日至昭和十八年十月三十一日 第一海上護衛隊戦時日誌』、1-26頁。 
    • Ref.C08030463200『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二四九号』、22-25頁。 
    • Ref.C08030140200『自昭和十八年十二月一日至昭和十八年十二月三十一日 第一海上護衛隊戦時日誌』。 
    • Ref.C08030140300『自昭和十九年二月一日至昭和十九年二月二十九日 第一海上護衛隊戦時日誌』、29-53頁。 
    • Ref.C08030617200『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 (第三十号掃海艇)戦時日誌』。 
    • Ref.C08030617300『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 (第三十号掃海艇)戦時日誌』。 
    • 『昭和17年 達/12月(2)』。Ref.C12070117700。 
    • 『昭和17年10月~12月 内令 4巻止/昭和17年12月(4)』。Ref.C12070167000。 
    • 『昭和18年5月~6月内令2巻/昭和18年5月(5)』。Ref.C12070177600。 
    • 『昭和18年9月~10月 内令4巻/昭和18年9月(2)』。Ref.C12070180500。 
    • 『昭和19年1月~7月 内令/昭和19年7月』。Ref.C12070197800。 
  • (Issuu) SS-268, USS PUFFER. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-268_puffer 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 海防艦顕彰会(編)『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9 
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年。 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。 
  • (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年。 
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦13 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」

関連項目

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