高岡神社 (四万十町)
高知県高岡郡四万十町にある神社
高岡神社(たかおかじんじゃ)は、高知県高岡郡四万十町にある神社。祭神は大日本根子彦太迩尊(東大宮)、磯城細姫命(今大神宮)、大山祇命・吉備彦狭嶋命(中ノ宮)、伊予二名洲小千命(今宮)、伊予天狭貫尊(森ノ宮)。四国八十八箇所三十七番札所岩本寺の元札所である。社格は県社。
高岡神社 | |
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所在地 | 高知県高岡郡四万十町仕出原100 |
位置 | 北緯33度13分15.7秒 東経133度7分27.6秒 / 北緯33.221028度 東経133.124333度座標: 北緯33度13分15.7秒 東経133度7分27.6秒 / 北緯33.221028度 東経133.124333度 |
主祭神 |
大日本根子彦太迩尊(東大宮) 磯城細姫命(今大神宮) 大山祇命・吉備彦狭嶋命(中ノ宮) 伊予二名洲小千命(今宮) 伊予天狭貫尊(森ノ宮) |
社格等 | 県社 |
創建 | 伝・6世紀頃 |
例祭 | 秋季大祭 |
概要
編集別名を仁井田五社といい、向かって右より東大宮(一の宮)、今大神宮(二の宮)、中ノ宮(三の宮)、今宮(四の宮)、森ノ宮(五の宮)が単独の神社として県道322号線沿いに並び、それぞれ祭神が配されている。この五社を総称して高岡神社と呼ぶ。正式名称は仁井田明神[1]。地元では「五社さん」と呼ばれている。
伝承によれば、大和時代の6世紀頃、伊予の豪族・河野氏の一派が一族の争いから当地に逃れ、この地の土豪と共に土地を開墾し安住の地と定めた。ここに祖神を祀り仁井田大明神とし、この地の総鎮守とした。
平安時代初期の天長3年(826年)四国を巡錫していた空海(弘法大師)が境内に福円満寺を創建したと言われる。空海は神社を5社に分社し五社大明神とし、神仏習合の神宮寺としたと伝えられている。
室町時代後期の享禄 - 天文年間(1528年 - 1555年)には戦火に遭うなどで衰微した。 江戸時代に入り、土佐藩2代藩主山内忠義が神社を整備した。社殿の改築、金幣の奉納を行い武運長久の崇敬神とした。
秋季大祭では、流鏑馬などの神事が行われる。
社務所は中ノ宮に構えられている。
五社について
編集分社された神は本地仏として祀られた。各祭神および本地仏は以下の通りである。
- 東大宮(一の宮):大日本根子彦太迩尊=不動明王
- 今大神宮(二の宮):磯城細姫命=観世音菩薩
- 中ノ宮(三の宮):大山祇命・吉備彦狭嶋命=阿弥陀如来
- 今宮(四の宮):伊予二名洲小千命=薬師如来
- 森ノ宮(五の宮・聖宮):伊予天狭貫尊=地蔵菩薩
これら5体の仏は、現在、岩本寺の本尊となっている。
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東大宮(一の宮)
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今大神宮(二の宮)
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今宮(四の宮)
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森ノ宮(五の宮)
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県道に面する鳥居
文化財
編集- 四万十町指定無形民俗文化財
- 高岡神社の大祭
- 社宝
当神社の社宝となっていて、行政の指定文化財ではないもの。
注釈
編集- ^ 四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編 56ページ
参考文献
編集- 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会/刊 2010年(第9版)
- 同 解説編 2007年(第7版)
- 高知県高等学校教育研究会歴史部会 編 『高知県の歴史散歩』 山川出版社/刊 2006年 243ページ
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、高岡神社 (四万十町)に関するカテゴリがあります。