高山 盛聡(たかやま もりとし)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武士徳川家康家臣旗本高山家の家祖。初め裳懸氏を称し、裳懸六郎とも呼ばれる。

 
高山盛聡
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
死没 寛永14年8月22日1637年10月10日
改名 裳懸盛聡 → 高山盛聡
別名 六郎、弥左衛門、主水(通称
官位 従五位下・主水祐
主君 竹原小早川氏小早川隆景徳川家康
氏族 裳懸氏高山氏
鵜飼元辰
盛勝利永
テンプレートを表示

出自

編集

裳懸氏は、鎌倉幕府の功臣・土肥実平の後裔・竹原小早川氏の庶流一族で、盛聡も小早川氏の重臣であったが、小早川隆景が没すると京都に閑居し、裳懸氏を改め高山氏を称した。

経歴

編集

参考文献

編集
  • 『大日本古文書 家わけ第十一 小早川家文書』東京大学史料編纂所
  • 『寛永諸家系図伝』第6巻(1983年、続群書類従完成会)