高 𤁒(こう ぎょう、生没年不詳)は、中国北斉皇族。華山王。高歓の十三男[1][2][3]。母は大爾朱氏[4][5][6]

経歴

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天保元年(550年)5月に北斉が建てられると、6月に高𤁒は新平郡王に封じられた[7][8][9]。天保9年(558年)、安定王に改封された。天保10年(559年)、華山王に封じられた。中書令斉州刺史を歴任した[1][2][3]武平元年(570年)7月、太傅の位を加えられた[10][11][12]。後に斉州で死去した。左丞相・太師録尚書事の位を追贈された[1][2][3]

高𤁒の妃の王氏は、太子洗馬の王洽の娘であった。王氏は奴婢と姦通していたが、高𤁒はそのことを知っていながらやめさせることができなかった。後に発覚すると、王氏は死を賜り、高𤁒は鞭打ち100回の刑を受けた[1][2][3]

脚注

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  1. ^ a b c d 氣賀澤 2021, p. 168.
  2. ^ a b c d 北斉書 1972, p. 139.
  3. ^ a b c d 北史 1974, p. 1867.
  4. ^ 氣賀澤 2021, p. 155.
  5. ^ 北斉書 1972, p. 131.
  6. ^ 北史 1974, p. 1859.
  7. ^ 氣賀澤 2021, p. 79.
  8. ^ 北斉書 1972, p. 52.
  9. ^ 北史 1974, p. 246.
  10. ^ 氣賀澤 2021, p. 131.
  11. ^ 北斉書 1972, p. 104.
  12. ^ 北史 1974, p. 292.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4