高井一 (野球)
日本の野球選手
高井 一(たかい はじめ、1969年10月2日 - )は、神奈川県平塚市[1]出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投両打。父は元近鉄バファローズの内野手の高井準一[1]。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県平塚市 |
生年月日 | 1969年10月2日(55歳) |
身長 体重 |
179 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト2位 |
初出場 | 1989年6月30日 |
最終出場 | 1990年10月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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来歴・人物
編集小学2年の時に野球を始める[1]。横浜高校では2年夏に県大会準優勝、投手も兼任[2]、1987年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースに2位指名を受け入団[1]。スイッチヒッターで、高校時代には両打席本塁打を記録した事もある。プロ入り後は左打席に専念した。
1年目からファームでレギュラーの座を掴む[1]。プロ2年目の1989年に一軍初出場を果たし、翌1990年には66試合に出場し、9月5日は日本タイ記録となっている3者連続三塁打(八木裕、高井、鮎川義文)の2番目の打者として三塁打を放っている。しかし、1991年以降は右手首骨折やヘルニアの影響で一軍出場機会が無く、1994年オフに自由契約になり現役を引退した[1]。実質的にリハビリ中であった最終年に阪神史上初の背番号100をつけた人物でもある。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1989 | 阪神 | 12 | 13 | 13 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .154 | .154 | .231 | .385 |
1990 | 66 | 119 | 111 | 12 | 30 | 7 | 1 | 2 | 45 | 17 | 0 | 1 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 19 | 1 | .270 | .314 | .405 | .719 | |
通算:2年 | 78 | 132 | 124 | 12 | 32 | 8 | 1 | 2 | 48 | 18 | 0 | 1 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 25 | 1 | .258 | .298 | .387 | .685 |
記録
編集- 初出場・初打席:1989年6月30日、対広島東洋カープ11回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に嶋田宗彦の代打として出場、紀藤真琴の前に三振
- 初安打:1989年9月9日、対横浜大洋ホエールズ20回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に山脇光治の代打として出場、石田文樹から二塁打
- 初先発出場:1989年9月25日、対中日ドラゴンズ22回戦(阪神甲子園球場)、8番・一塁で先発出場
- 初本塁打:1990年9月22日 、対ヤクルトスワローズ24回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に宮本賢治からソロ
背番号
編集- 37(1988年 - 1993年)
- 100(1994年)
脚注
編集関連項目
編集- 神奈川県出身の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 高橋建 - 高校の同期生
外部リンク
編集- 個人年度別成績 高井一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)