馬場元治
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馬場 元治(ばば もとはる、明治35年(1902年)12月21日 - 昭和43年(1968年)6月23日)は、昭和時代の政治家、弁護士。自由民主党の衆議院議員で建設大臣を務めた。正三位勲一等瑞宝章。長崎県南高来郡南串山村出身(現雲仙市)。旧制長崎中学、第五高等学校、東京帝国大学法学部卒。三男は英国在住の俳優、トーゴ イガワ。
馬場 元治 ばば もとはる | |
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生年月日 | 1902年12月21日 |
出生地 | 長崎県南高来郡南串山村(現・雲仙市) |
没年月日 | 1968年6月23日(65歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
所属政党 |
(無所属→) (東方会→) (翼賛政治会→) (大日本政治会→) (日本進歩党→) (無所属→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
正三位 勲一等瑞宝章 南串山町名誉町民 |
第13代 建設大臣 | |
内閣 | 第3次鳩山一郎内閣 |
在任期間 | 1955年11月22日 - 1956年12月23日 |
初代 首都圏整備委員会委員長 | |
内閣 | 第3次鳩山一郎内閣 |
在任期間 | 1956年6月9日 - 1956年12月23日 |
選挙区 |
(長崎県第1区→) 旧長崎1区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 |
1936年2月20日 - 1945年12月18日 1952年10月1日 - 1968年6月23日 |
経歴
編集- 1919年 長崎中学校4年終了
- 1922年 第五高等学校 (旧制)を卒業
- 1925年 東京帝国大学法学部卒業。高等文官試験司法科合格。弁護士となる。
- 1930年 長崎市議会議員
- 1931年 長崎県議会議員
- 1936年 第19回衆議院議員総選挙に長崎1区から無所属で立候補、国政初当選(33歳)
- 1944年 小磯内閣で厚生参与官
- 1945年8月9日 長崎に原爆投下、被害状況を目の当たりにする
- 1946年 公職追放
- 1951年 公職追放解除
- 1952年 第25回衆議院議員総選挙に自由党から立候補、国政に復帰、自由党総務、衆議院外務委員
- 1953年 衆議院通商産業委員
- 1954年 衆議院法務委員長
- 1955年 第3次鳩山内閣で建設大臣
- 1956年 首都圏整備委員会委員長
- 1957年 自由民主党相談役、建設委員
- 1968年6月23日 死去 南串山町名誉町民
脚注
編集公職 | ||
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先代 竹山祐太郎 |
建設大臣 第13代:1955年 - 1956年 |
次代 南条徳男 |
議会 | ||
先代 小林錡 |
衆議院法務委員長 1954年 - 1955年 |
次代 世耕弘一 |