香川富太郎
日本の陸軍軍人 (1853-1937)
香川 富太郎(かがわ とみたろう、1853年9月25日(嘉永6年8月23日)- 1937年(昭和12年)12月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。安芸国(現:広島県)出身。
香川 富太郎 | |
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歩兵第1連隊附時 | |
生誕 |
1853年9月25日 (旧暦:嘉永6年8月23日) 日本・安芸国 |
死没 | 1937年12月17日(84歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1877年 - 1937年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
墓所 | 多磨霊園 |
経歴
編集1853年9月25日(嘉永6年8月23日)、安芸国(現・広島県)に生まれる。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)に学ぶ[1]。1877年(明治10年)陸軍少尉として西南戦争に従軍。歩兵第1連隊附として1894年(明治27年)日清戦争、1900年(明治33年)北清事変に出征。陸軍省軍務局歩兵課長を経て、1901年(明治34年)歩兵第48連隊長に就任し、歩兵大佐となった。1904年(明治37年)日露戦争に出征し、遼陽会戦、沙河会戦、旅順攻囲戦に参戦。1905年(明治38年)陸軍少将に昇格し歩兵第24旅団長となる。その後歩兵第35旅団長、歩兵第11旅団長を歴任し、1911年(明治44年)9月6日、陸軍中将に昇進と同時に予備役に編入された[2][3]。1920年(大正9年)修道中学校(現:修道中学校・高等学校)理事長に就任[4]。1937年(昭和12年)12月17日逝去[5]。正5位 勲2等 功3級。
栄典・授章・授賞
編集- 位階
- 勲章等
- 1902年(明治35年)5月10日 - 明治三十三年従軍記章[8]
脚注
編集- ^ 小鷹狩丙吉「小鷹狩元凱翁」(昭和13年)54頁
- ^ 多磨霊園著名人リスト
- ^ 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年、40頁。
- ^ 修道学園中高同窓会会員名簿第36号7頁
- ^ 香川富太郎とは - コトバンク
- ^ 『官報』第8021号「叙任及辞令」1910年3月23日。
- ^ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
- ^ 『官報』第5874号・付録「辞令」1903年2月4日。