饒河県

中華人民共和国黒の竜江省双鴨山市に位置する県

饒河県(じょうが-けん)は中華人民共和国黒竜江省双鴨山市に位置する。県人民政府駐の所在地は饒河鎮。国家級貧困県に指定されている。

中華人民共和国 黒竜江省 饒河県
双鴨山市中の饒河県の位置
双鴨山市中の饒河県の位置
双鴨山市中の饒河県の位置
簡体字 饶河
繁体字 饒河
拼音 Ráohé
カタカナ転写 ラオホー
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
黒竜江
地級市 双鴨山市
行政級別
建置 1909年
面積
総面積 6,613 km²
人口
総人口(2004) 14 万人
経済
電話番号 0469
郵便番号 155700
行政区画代碼 230523
公式ウェブサイト http://www.hlraohe.gov.cn/
中国地名の変遷
建置 1909年
使用状況 饒河県
饒河県
中華民国饒河県
満洲国饒河県
現代饒河県
虎饒県(1960年)
饒河県(1964年)

地理

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アムール川(黒竜江)支流の一つであるウスリー川(烏蘇里江)が東部沿いに流れている。対岸はロシア極東連邦管区に属するハバロフスク地方ビキンスク地区英語版ビキン)と接している。 また、本県北部の行政区境は同じ黒竜江省のジャムス市撫遠市と接している。

歴史

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県名は県内を流れる饒力河に由来する。明代は諾雷河・諾羅河とも表記され、満州語で「鳥の多い場所」を意味するノロが転訛したものである。

周代粛慎前漢から西晋にかけては挹婁の居住地であり、唐代渤海の勢力下に置かれ、金代は上京恤品路元代は水達達路、明代は奴児干都司の管轄とされた。

清初は寧古塔将軍三姓副都統の管轄とされたが、1908年光緒34年)に新設された密山府に移管され、1909年宣統元年)6月2日に饒河県が新設された。

1960年1月7日に虎林県と合併して虎饒県となり一度消滅したが、1964年10月10日に虎饒県の分割により再設置された。

行政区画

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4鎮、4郷、1民族郷を管轄:

  • :饒河鎮、小佳河鎮、西豊鎮、五林洞鎮
  • :西林子郷、大佳河郷、山里郷、大通河郷
  • 民族郷:四排ホジェン族郷

交通

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省道
  •   210省道
  •   211省道
  •   307省道

健康・医療・衛生

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  • 饒河県人民医院

国境検問所

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関連項目

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外部リンク

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