館俊三
日本の労働運動家、政治家
館 俊三(だて[注 1] しゅんぞう、1896年〈明治29年〉6月15日[1] - 1964年〈昭和39年〉4月6日[2][3])は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。
館俊三 だて しゅんぞう | |
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生年月日 | 1896年6月15日 |
出生地 |
日本 石川県鹿島郡七尾町 (現・石川県七尾市) |
没年月日 | 1964年4月6日(67歳没) |
出身校 |
石川県立七尾中学校卒業 (現・石川県立七尾高等学校) |
前職 | 函館駅助役 |
所属政党 |
(日本社会党→) (労働者農民党→) 日本社会党 |
選挙区 | 旧北海道3区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 |
1947年4月 - 1948年12月23日 1952年10月1日 - 1955年1月24日 1958年5月22日 - 1960年10月24日 |
経歴
編集石川県鹿島郡七尾町(現七尾市)で生まれる[4][注 2]。1916年(大正5年)石川県立七尾中学校(現石川県立七尾高等学校)を卒業し[2][3][4]、小学校准訓導心得となる[2]。
1920年(大正9年)鉄道省に入省し函館駅改札掛に就任[4]。鉄道局書記、鉄道官補、函館駅助役を歴任[2][3]。1946年(昭和21年)函館駅従業員労働組合の結成発起人となり、また同年5月に結成された国鉄北海道労働組合の委員長に就任[4]。同年4月、第22回衆議院議員総選挙に出馬するも落選[4]。1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙で北海道第3区から日本社会党所属で出馬して初当選[2][3][4]。その後、労働者農民党所属で出馬して[4] 第25回、第26回総選挙で当選し[2][5]、第24回、第27回総選挙では落選した[6]。1958年(昭和33年)5月、第28回総選挙では日本社会党所属で出馬して当選[2][4][7]。1960年(昭和35年)11月、第29回総選挙には出馬せず[8]、衆議院議員を通算4期務めた[2][3][4]。
その他、国有鉄道中央調停委員会委員、札幌地方国有鉄道調停委員会委員、地方公共企業体等調停委員会委員、函館地区鉄道従業員組合協議会常任委員長、国鉄労働組合北海道地方本部執行委員長、同組合総連合会中央委員、労働者農民党中央執行委員、同国会対策部長などを務めた[2][3]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。