飯田 覚士(いいだ さとし、1969年8月11日 - )は、日本の元プロボクサー愛知県名古屋市出身。緑ボクシングジム所属。元WBA世界スーパーフライ級王者。

飯田 覚士
基本情報
本名 飯田 覚士(いいだ さとし)
階級 スーパーフライ級
身長 169cm
リーチ 179cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1969-08-11) 1969年8月11日(55歳)
出身地 愛知県名古屋市
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 28
勝ち 25
KO勝ち 11
敗け 2
引き分け 1
テンプレートを表示

人物

編集

愛知県立大府東高等学校岐阜経済大学経済学部卒。

幼少期にがんばれ元気のアニメを見てボクサーを目指し 大学にてボクシング部に所属、2年時に県の代表となり、1990年にレベルアップのためジムに所属しようと検討していた際バラエティ番組天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」を知り応募、渡辺二郎渡嘉敷勝男の指導を受けた。甘いマスクで人気を博す。

こうした経緯から人気先行ボクサーと目され、整った顔立ちで「アイドルボクサー」の風評に悩まされるが[1]、熱心な練習と視覚的な科学的トレーニング「ビジョントレーニング[2]」により世界王者にまで登りつめた。緑ジム関係者は当時の飯田について「パワー、スピード、テクニックに目を見張るものはなかったが、とにかく頭のいいボクサーだった」と語っている。

世界戦は地元の中京テレビが放映権を持ち、日祝日の夕方に生中継をして、ゴールデンタイムでの放送はなかった。

1999年の現役引退後は、子供向けボクシング教室を開設して底辺拡大に励みつつ、舞台で活躍する等、芸能活動にも勤しんでいる。

JNN系列・CBCのボクシング中継で、解説者として出演することもある。また、ボクシング専門誌『ボクシング・ビート』では、旧名の『ボクシング・ワールド』時代から毎月、内藤大助ファイティング原田などの新旧有名ボクサーをはじめ、漫画家の森川ジョージ、俳優の速水もこみちなどのボクシングファンとも積極的に対談を行っている。

2006年11月、元世界王者の輪島功一、渡嘉敷、玉熊幸人戸高秀樹らとともに、元ボクサー・袴田巌が起こしたとされている袴田事件の再審を求める要請書を最高裁判所に提出。袴田の無罪獲得・冤罪認定のため活動を続けている。

来歴

編集

1988年、岐阜経済大学入学と同時にボクシング部に入部し、本格的にボクシングを始めた。

1990年、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画「ボクシング予備校」に参加。同年9月MI花形ジム所属でプロテスト合格。

1991年3月23日、名古屋市緑区の緑ジム所属でプロデビュー。

1991年12月8日、中日本スーパーフライ級新人王として西日本新人王との全日本新人王決定戦西軍代表決定戦制覇。

1992年2月16日、大阪府立体育会館での全日本新人王決定戦出場。同じく「ボクシング予備校」からプロ入りした松島二郎と対戦し、6回判定勝ちで全日本新人王となった。

1993年8月14日、世界挑戦経験もある世界ランカー・徳島尚に10回判定勝ち。この勝利で世界ランク入りを果たした。

1994年3月13日、前年2月に全日本新人王を争った松島と再戦。松島のジムの先輩でもある川島郭志が返上して空位となっていた日本スーパーフライ級王座を争い、8回TKO勝ち。日本王者となった(1度防衛後の同年12月に返上)。

1996年4月29日、無敗のまま世界初挑戦。名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)でWBA世界スーパーフライ級王者アリミ・ゴイチアベネズエラ)に挑むも、4回にプロ初のダウンを奪われた末の5回TKO負け。プロ初黒星を喫した。

世界初挑戦失敗後、2試合を行い連勝。

1997年4月29日、愛知県体育館で世界再挑戦。前年8月にゴイチアを降して、WBA世界スーパーフライ級王者となったヨックタイ・シスオータイ)と対戦。アウトボクシングで優位に試合を進めたかに思われたが、引き分け(1-0)で王座獲得ならず。

1997年12月23日、ヨックタイに再挑戦。初回にダウンを奪うスタートを見せるが、後半は王者の反撃に晒され、逆転KO負けの危機にまで直面。それでも最後まで倒れることはなく、そのまま試合終了。判定の結果3-0で勝利し、世界王座獲得。

1998年4月29日、初防衛戦。WBCミニマム級、WBAライトフライ級で世界2階級制覇を達成した井岡弘樹と対戦。フルラウンドの末、判定勝ち。井岡の3階級制覇を阻止すると同時に初防衛成功。その後、2度目の防衛にも成功。

1998年12月23日、3度目の防衛戦。元WBA世界フライ級王者ヘスス・ロハスベネズエラ)と対戦。5回、王者の右肩が脱臼するアクシデント。その後、ダウンだけは拒み続け、試合終了を迎える。結局、0-3の判定負け。世界王座奪取からちょうど1年で王座陥落。王座陥落後、一度は再起を視野にトレーニングを再開したが、1999年2月28日、「気力の限界」を理由に現役引退を表明した。

獲得タイトル

編集

戦績

編集
  • プロボクシング:28戦25勝(11KO)2敗1分

出演

編集

映画

編集

バラエティー

編集

著書

編集

単著

編集

共著

編集

監修

編集
  • 『ボクシングパーフェクトマスター (スポーツ・ステップアップDVDシリーズ) 』(新星出版社 2008年)

脚注

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集
空位
前タイトル保持者
川島郭志
第17代日本スーパーフライ級王者

1994年3月13日 - 1994年1月24日(返上)

空位
次タイトル獲得者
ネルソン原田
前王者
ヨックタイ・シスオー
WBA世界スーパーフライ級王者

1997年12月23日 - 1998年12月23日

次王者
ヘスス・ロハス