願興寺 (名古屋市)
願興寺(がんこうじ、がんごうじ)は、愛知県名古屋市中川区牛立町にある寺。飛鳥時代創建で東海地方最古の寺である尾張元興寺の系譜を引くとされる[1]。
願興寺 | |
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所在地 | 愛知県名古屋市中川区牛立町2丁目62 |
山号 | 尾頭山 |
宗派 | 天台宗→浄土真宗(真宗大谷派) |
寺格 | 定額寺 |
創建年 | (推定)7世紀 |
開山 | (伝)道場法師[1] |
別称 | 元興寺、尾張元興寺 |
概要
編集7世紀頃に現在の名古屋市中区正木付近に創建された古刹「願興寺」を前身とし、戦国期に現在地に移転したという伝承がある[1]。一説に、願興寺は奈良県の元興寺の分院として道場法師が創建したという[2]。しばしば「尾張元興寺」「元興寺」という表記も用いられる。後の発掘調査で、旧地とされる場所から飛鳥時代に製作されたと推定される水煙や瓦などの遺物や五重塔の遺構が見つかっている[1][3]。また旧地とされる古渡村内には江戸期まで「ガゴジ」という小地名が残っていた。「願興寺」は古代は相当に大規模な寺院であったと推定されており、その名は『日本紀略』にも登場する。
勅令尾張国愛智郡定額願興寺為国分金光明寺 縁本金光明寺灾火焼捐也 — 『日本紀略』元慶八年八月二十六日条
この記述によれば、尾張国分寺が焼失したため、9世紀には願興寺が実質的に尾張国の国分寺と扱われていたことが分かる。しかし10世紀になると旧地からの遺物は激減するため、当寺は衰退したらしい[1]。平安末期に一度廃寺となった後、源義次によって再建されたという[2]。戦国期に入り、延徳年間に浄土真宗へ改宗、後に旧地(愛知郡古渡村)から現在地(愛知郡牛立村)に移転したとされる[1] [4]。織田信秀の古渡城築城が移転理由と言われている[4]。
江戸期になると願興寺の旧地近くに「元興寺」が建立された。この寺院は1718年(享保3年)に知恩院の末寺として建てられたものであり、当寺とは別であるが「尾張元興寺跡」の立て看板が設置されている[1]。