頼母子古墳
頼母子古墳(たのもしこふん)は、群馬県太田市牛沢町付近に所在したと伝わる古墳。頼母子大塚山古墳(たのもしおおつかやまこふん)とも呼ばれる。
頼母子古墳 | |
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別名 | 頼母子大塚山古墳 |
所在地 | 群馬県太田市牛沢町付近 |
位置 | 北緯36度15分32.0秒 東経139度21分04.5秒 / 北緯36.258889度 東経139.351250度座標: 北緯36度15分32.0秒 東経139度21分04.5秒 / 北緯36.258889度 東経139.351250度 |
形状 | 不詳(前方後円墳説が有力[1]) |
規模 | 不詳 高さ5.4 m |
埋葬施設 | 不詳(竪穴式) |
出土品 | 銅鏡3面 石釧 鉄鏃30など |
築造時期 | 4世紀後半 - 末[2] |
概要
編集朝子塚古墳西側、かつて旧国道354号(群馬県道142号)より南側に所在したと伝わる古墳。群馬県では1915年(大正4年)の藤岡市三本木所在古墳での発見につぐ2番目に多い、2面の三角縁神獣鏡が出土した[3]。墳丘は1910年(明治43年)に土砂採取のため破壊された。戸籍の記録や出土品から、朝子塚古墳の一つ前の首長墓とされている。埋葬施設は粘土郭とみられている。
規模
編集本古墳の規模について伝わる数値は墳丘高さのみである。
- 墳丘高さ : 5.4 m
出土品
編集1910年の削平時に波紋帯龍虎鏡、吾作銘帯三神五獣鏡、有銘文帯四神四獣鏡、石釧、鉄鏃などが発見された。 現在、吾作銘帯三神五獣鏡、有銘文帯四神四獣鏡は所在不明。
吾作銘帯三神五獣鏡
編集本古墳出土の吾作銘帯三神五獣鏡と推定されている拓本が奈良県立天理図書館[要出典]に、拓影の鏡が南山大学人類学博物館にそれぞれ収蔵されている。現在この銅鏡は岐阜県可児市土田出土とされ、兵庫県西求女塚古墳、京都府椿井大塚山古墳、千葉県城山1号墳出土の銅鏡と同笵である。
脚注
編集参考文献
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関連項目
編集外部リンク
編集- 銅鏃(群馬県太田市牛沢字頼母子大塚山古墳出土) - 東京国立博物館 研究情報アーカイブズ