音通寺(おんつうじ)は、岐阜県恵那市長島町中野にある真宗大谷派の寺院。山号は微妙山。

音通寺おんつうじ
所在地 岐阜県恵那市長島町中野177-2
位置 北緯35度26分50.6秒 東経137度24分23.0秒 / 北緯35.447389度 東経137.406389度 / 35.447389; 137.406389座標: 北緯35度26分50.6秒 東経137度24分23.0秒 / 北緯35.447389度 東経137.406389度 / 35.447389; 137.406389
山号 微妙山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 永正3年(1506年)
開基 宗廓院良圓法橋
中興年 昭和13年(1938年)
中興 鈴木操
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歴史

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由緒

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近江国犬上郡の下之郷城に居城していた、二階堂出羽守の長男の甲良左兵之助が、天台宗法相宗に帰依して出家し、宗廓院良圓法橋と改名し、

永正3年(1506年)に微妙山 音通寺を開基した[1]

しかし永正年間(1504~1521年)の末に、本願寺九世の実如上人に帰依して、浄土真宗に改宗した。

沿革

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大正9年(1920年)5月、岐阜県恵那郡長島町中野315番地に創立し、

昭和2年(1927年)9月8日、岐阜県指令二兵第207号をもって認可された。

昭和12年(1937年)2月19日、鈴木操が継受し、名称を真宗大谷派東濃説教所として設立願を提出し、6月14日に許可された。

続いて6月から7月にかけて信者の寄付により、恵那郡長島町正家槇本に600坪の土地を購入した。

昭和13年(1938年)6月18日、岐阜県指令十三兵第1196号をもって移転・増築を認可され、8月13日に竣工・完成した。

昭和35年(1960年)、恵那市役所の建設のために移転を余儀なくされた。

昭和37年(1962年)、現在地に移築し今日に至っている。

参考文献

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  • 『恵那市史 通史編 第3巻 2 (近・現代 2 生活・民族・信仰)』 第五編 近現代 第十二章 信仰、宗教 第五節 仏教 三 各寺院の年中行事 音通寺 p791~p792 恵那市史編纂委員会 1991年

脚注

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  1. ^ 長島役場文書