静勝寺
東京都北区にある寺院
静勝寺(じょうしょうじ)は、東京都北区赤羽西1丁目(旧豊島郡稲付村)にある曹洞宗の寺院。
静勝寺 | |
---|---|
山門 | |
所在地 | 東京都北区赤羽西1-21-17 |
位置 | 北緯35度46分33.7秒 東経139度43分8.9秒 / 北緯35.776028度 東経139.719139度座標: 北緯35度46分33.7秒 東経139度43分8.9秒 / 北緯35.776028度 東経139.719139度 |
山号 | 自得山[1](じとくざん) |
宗旨 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来[2] |
開山 | 永正元年(1504年) |
開基 | 雲綱[1] |
中興年 | 明暦元年(1655年) |
中興 | 太田資宗[1] |
正式名 | 自得山靜勝禪寺 |
札所等 | 北豊島三十三ヶ所霊場4番札所 |
文化財 | 稲付城跡(東京都指定文化財) |
公式サイト | 静勝寺公式ホームページ |
法人番号 | 9011505000161 |
歴史
編集稲付城
編集当寺院を含め元々当地一帯は稲付城(いねつけじょう)と呼ばれていた城があったところと言われている[3]。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したと伝わっている[3](扇谷上杉氏によるとの説もある。ただ、太田道灌は扇谷上杉氏の家臣だったので、少なからず関わっていたと言われている[4])。
道灌の孫である太田資高およびその子太田康資が、2代にわたり当地に館を築いていたが[4]、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になったとされる[4]。
寺の歴史
編集静勝寺の由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1504年に、城の一角に彼を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまる[5]。その後に明暦元年(1655年)、道灌の子孫の太田資宗が堂などを整備して中興、道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改めたと言われている[3]。
江戸時代を通じて、静勝寺は太田氏の菩提寺とされ、道灌堂(太田道灌像を祀る堂、1715年建立)、旧本堂(現在の弁天堂、1694年建立)などを造営するなど深くかかわっていた[3]。
主な施設
編集アクセス
編集亀ヶ池弁財天
編集この節の加筆が望まれています。 |
亀ヶ池弁財天(かめがいけべんざいてん)は、東京都北区赤羽西1-29-17にある弁天堂。地元商店街が中心となった弁天講の要望で、1980年に静勝寺弁天堂から弁財天を勧請した。例大祭は4月第1日曜日。明治時代以前に赤羽駅西口付近に存在した亀ヶ池からその名を取っている。
脚注
編集参考文献
編集- 北区教育委員会編『北区文化財案内 』1988年
- 「稲付村 静勝寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ17豊島郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/96。
- “木造太田道灌坐像附厨子1基”. 北区飛鳥山博物館 (2015年4月23日). 2020年11月13日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 静勝寺公式ホームページ - ウェイバックマシン(2013年7月13日アーカイブ分)