青木理 (三重県知事)

日本の政治家。三重県知事

青木 理(あおき まさる、1902年明治35年〉8月9日[1][2] - 1967年昭和42年〉1月25日[1])は、大正末から昭和期の実業家政治家。初代三重県公選知事(2期)。

青木理
あおき まさる
生年月日 1902年8月9日
出生地 日本の旗 日本 三重県一志郡久居町
(現・三重県津市
没年月日 (1967-01-25) 1967年1月25日(64歳没)
出身校 東京帝国大学法学部卒業
前職 日本蚕糸近畿中国支社長
所属政党無所属→)
自由民主党

三重県の旗 公選 初・2代 三重県知事
当選回数 2回
在任期間 1947年4月16日 - 1955年3月18日
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経歴

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三重県一志郡久居町西鷹跡町(久居市を経て現津市)で生まれた[2]1923年(大正12年)東京帝国大学法学部を卒業[1][2]理研特殊鋼総務部長、日本兵器車両取締役などを経て[2]、1942年(昭和17年)拓務大臣井野碩哉秘書官となる[1][2]。翌年実業界に戻り、日本蚕糸近畿中国支社長などを歴任した[1][2]

1947年三重県知事選挙

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戦後の1947年(昭和22年)の第1回三重県知事選挙に立候補して、官選知事の佐伯敏男や共産党の候補ら4人を破って当選し、初代公選知事となった[3]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
青木理-無所属-271,38751.1%-
佐伯敏男-無所属-225,279票42.5%-
中川剛毅-無所属-17,222票3.2%-
梶田茂穂-日本共産党-11,320票2.1%-
高山庄五郎-無所属-5,444票1.0%-

同年4月16日に就任した[4]1951年(昭和26年)にも再選[2]。同年11月には昭和天皇の三重県巡行があり、随行役を務めた(昭和天皇の戦後巡幸[5]

1955年(昭和30年)の知事選では自由党日本民主党の支援を受けたが、左右社会党の支援を受けた農林省課長の田中覚に敗れた。同年3月18日に退任した[4]

1958年(昭和33年)5月の第28回衆議院議員総選挙三重1区から自由民主党公認で立候補したが落選した[6]1967年没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』7頁。
  2. ^ a b c d e f g 『新編日本の歴代知事』624頁。
  3. ^ 新国会選挙大観 108コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b 歴代公選知事名簿(都道府県別) | 知事検索 | 都道府県情報 | 全国知事会”. www.nga.gr.jp. 2024年9月16日閲覧。
  5. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、107頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  6. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』230頁。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』編集・発行 - 日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。


公職
先代
新設
 三重県知事
公選初代 - 第2代:1947年 - 1955年
次代
田中覚