青春群像』(せいしゅんぐんぞう、原題:I Vitelloni)は1953年イタリア映画。イタリアの田舎町で暮らす5人の若者の姿を描いた作品。映画監督業の芸術的発展に極めて重要な作品として認められ、1950年代イタリア社会の重要な変化を反映し、自伝的要素を持っている。原題は「雄牛」の意味。

青春群像
I Vitelloni
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ
エンニオ・フライアーノ
原案 フェデリコ・フェリーニ
エンニオ・フライアーノ
トゥリオ・ピネッリ
出演者 フランコ・インテルレンギ
アルベルト・ソルディ
フランコ・ファブリーツィ
音楽 ニーノ・ロータ
撮影 オテッロ・マルテッリ
ルチアーノ・トラザッティ
カルロ・カルリーニ
編集 ロランド・ベネデッティ
配給 日本の旗 新外映
公開 イタリアの旗 1953年8月26日 (VIFF)
日本の旗 1959年5月30日
上映時間 103分
製作国 イタリアの旗 イタリア
フランスの旗 フランス
言語 イタリア語
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1953年のヴェネツィア国際映画祭では銀獅子を獲得した。また第30回アカデミー賞では脚本賞にノミネートされた。今作の成功は、『白い酋長』(1952年)で商業的に失敗したフェリーニの評判を回復した[1]

あらすじ

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20代で定職についていない友人関係の5人の男たち、色男のファウスト、空想家のアルベルト、劇作家志望のレオポルド、美声のリッカルド、最年少のモラルドは田舎町のビーチで行われる美人コンテストを見学している。「1953年のミス水着」に選ばれたのはモラルドの妹サンドラだったが、サンドラは突然の不調で気絶し、ファウストの子を妊娠していることが明らかになる。ファウストは街を逃げだそうとするが父親に捕まり、結婚させられる。新婚旅行から帰ってくるとファウストは、姑の友人の店で働くことになるが、店主の妻を誘惑するなど浮気性は変わらない。しかしそれがきっかけで仕事をクビになってしまう。退職金代わりにとモラルドと共に店から天使像を盗み出すが、金にはならず、盗みもバレてしまう。4人の友人は失業中で、目的もなく怪しげなビリヤード場やカフェにたむろし、暇つぶしに荒涼とした吹きさらしのビーチを歩いている。モラルドは旅に出ることを夢見て、駅夫の少年と知り合う。アルベルトの姉は妻のいる男と不倫している。付き合いに反対していたアルベルトだが、やがて姉は男と駆け落ちしてしまう。レオポルドは街にやってきた老俳優に自作の戯曲を見せ、高く評価されるが、最終的に怖気づいてしまい、自分から逃げてしまう。やがて子供が生まれるが、ファウストは仕事に就かない。ファウストの浮気を知ったサンドラは、赤ん坊を連れて家出する。ファウストは4人の助けを借りて必死でサンドラを探し、最終的にファウストの家でサンドラを見つける。ファウストは父にベルトで叩かれるが、その後「改心」しサンドラとともに帰宅する。一方、ある朝モラルドは眠る友人たちを残し、あてのない旅に列車に乗って出発する。

キャスト

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[2]

製作

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1952年に、フェリーニは、"現代のおとぎ話"を制作。三人で一緒に思春期の思い出を用い、急速にスクリプトを書いた。それがこの映画の元になっている。

戦後イタリアで最も重要な人気コメディアンアルベルト・ソルディは、フェリーニの前作「白い酋長」から続いての出演であり、フランコ・ファブリーツィとフランコ・インテルレンギが共演した[3]


評価

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フランチェスコ・カアラリは「フェリーニ魔法のタッチを持っている」と評した。エルマンノ・コンティーニは「強固な構造を持っていない。ストーリーはエピソードの積み重ねで、不連続である。退屈な不均衡がある。しかし、そのような欠点は、十分に映画の誠実さによって贖われ、信憑性がある」と評した。アルトゥーロ・ラノチータは「特定の目的のない夜のグラフィック皮肉のタッチで自分自身を描いている。その弱点にもかかわらず、フィルムは、近年では最高の一つです。」と評した。ジュリオ・チェーザレ・カステッロは「フィルムはフェリーニがイタリア映画業界で最も才能のある風刺家、人間の行動の観察者、心理学者であることを証明した。良いモラリストのように、彼は単なる娯楽以上のものを提供する。彼は、お話に意味を与える方法を知っている」と評した。

ニューヨーク・タイムズ』のボズレー・クラウザーは「フェリーニは、刺すような映画を作る」と評した。またジョン・サイモンは「ニーノ・ロータの音楽も良かった」と評した

イタリア系アメリカ人の映画監督マーティン・スコセッシは1999年の4時間ドキュメンタリー映画『マーティン・スコセッシ 私のイタリア映画旅行』で同作を扱い、「フェリーニが"フェリーニ"に、"あのイタリアの監督"になる前、"フェリーニ的"という言葉が生まれるはるか前に、彼は故郷リミニを舞台に一本の映画を撮り、自分の青春時代を描いた。彼の三作目の長編で、最初の傑作だ。僕がとても"つながり"を感じる作品であり、(内容は)成長期の僕の生活とほぼ同じだ(It was actually the one that I feel very connected to. The film of his relates most directly to my own life when I was growing up)」とした。

  • スタンリー・キューブリックは雑誌『Cinema』のインタビューでお気に入りの映画10本を問われた際に、本作を1位に選んだ。彼が生涯で最も愛した作品とされる[4]

フェリーニの没後10周年となる2003年に国際的に再公開された際、『サンフランシスコ・クロニクル』のミック・ラサール「感度、観察とユーモアの映画だった。フェリーニ愛好家には必見」と評した。また『シカゴ・トリビューン』のマイケル・ウィルは「イタリアでは、フェリーニの最も一貫して愛された映画の一つである。あなたはまだその素晴らしい酔ったシーンを覚えているかも。アルベルトのドラッグタンゴ。終わりの列車のトラックに小さな男の子が来るシーン。最初にそれを見たときより強く、もう一度感動できる」と評した[5]

受賞とノミネート

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映画祭・賞 部門 候補 結果 参照
アカデミー賞 脚本賞 トゥリオ・ピネッリフェデリコ・フェリーニエンニオ・フライアーノ ノミネート
ヴェネチア国際映画祭 サン・マルコ金獅子賞 フェデリコ・フェリーニ ノミネート
サン・マルコ銀獅子賞 フェデリコ・フェリーニ 受賞

参考文献

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個別
  1. ^ Awards for I Vitelloni”. Internet Movie Database. 30 April 2012閲覧。
  2. ^ Full cast and crew for I Vitelloni”. Internet Movie Database. 30 April 2012閲覧。
  3. ^ I Vitelloni”. Internet Movie Database. 30 April 2012閲覧。
  4. ^ “Stanley Kubrick, cinephile” (英語). British Film Institute. https://www.bfi.org.uk/news-opinion/sight-sound-magazine/polls-surveys/stanley-kubrick-cinephile 2018年11月22日閲覧。 
  5. ^ Kezich, 132. This explanation also was proposed by Tullio Pinelli in a 2001 research interview for the documentary, Fellini: I'm a Born Liar (2002). CinéLibre (Paris), Issue July 2003.
全般

外部リンク

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