青山長利
青山 長利(あおやま ながとし)は、戦国時代の三河国の武将。松平氏の家臣。
時代 | 戦国時代後期 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永禄7年1月25日(1564年3月18日) |
改名 | 新八郎、虎之助 |
墓所 | 大林寺 |
主君 | 松平清康、家康 |
氏族 | 青山氏 |
父母 | 青山忠教 |
兄弟 | 清治、長利 |
子 | 定親 |
生涯
編集父忠教は青山忠世の弟で、青山忠成は大甥にあたる。三河の大名松平清康に使番として仕える。享禄3年(1530年)宇利城攻撃の際に物見として従軍し、敵を討つ武功を上げた。このとき馬印に「虎」の字を書き、また具足や羽織に虎の絵を描いていたことを気に入られ、「虎之助」の名を与えられたという。永禄7年(1564年)家康の代に三河一向一揆鎮圧に従軍。一揆根拠地のひとつである上宮寺に火計をしかけるが失敗し、返り討ちにあって戦死した。「虎之助」の名を与えられた逸話を姉川の戦いの時の事とする異説もある。
参考文献
編集- 「寛政重修諸家譜」巻第731