青山清 (陸軍軍人)
青山 清(あおやま きよし、1893年〈明治26年〉2月1日[1] - 1970年〈昭和45年〉1月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
青山 清 | |
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生誕 |
1893年2月1日 日本 愛知県 |
死没 | 1970年1月18日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1893年(明治26年)に愛知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期卒業[1]。1939年(昭和14年)9月に第23師団高級副官(関東軍・第6軍[1])に着任し[2]、ノモンハン事件で敗退した師団の再建に尽力した[1]。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、12月2日に歩兵第43連隊長(関東軍・第5軍・第11師団[1])に着任[2]。虎林に駐屯し[1]、同地周辺の守備に任じた[1]。1944年(昭和19年)1月に山形連隊区司令官に転じた[2]。
1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、3月31日に歩兵第83旅団長(支那派遣軍・第1軍・第114師団)に着任[1]。中国戦線に出征し、終戦時は太原に位置した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。