鈴木孫一
日本の雑賀衆、雑賀党鈴木氏の棟梁・有力者の名跡
(雑賀孫市から転送)
鈴木 孫一(すずき まごいち)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・鈴木重秀が名乗った名前で、他にも複数の人物がこの名を称したといわれる。他者により孫市と書かれることがあり[1]、近世には雑賀 孫市(さいか まごいち)や平井 孫市(ひらい まごいち)とも呼ばれた[2]。
孫一を称した人物
神坂次郎は、鈴木孫市(孫一)を名乗った人物として鈴木佐大夫・鈴木重秀・鈴木義兼の3人を挙げ、水戸藩に仕えた鈴木重朝を重秀と同一人物としている[3]。『和歌山市史』は、石山合戦で活躍する鈴木孫一について近世に様々な名で記録されていることに触れ、いずれも鈴木重秀に同定できるため、複数の人物を想定する必要はないとしている[4]。
以下、文献に鈴木孫一(孫市)として現れる人物や、孫一(孫市)を称したとされる人物を挙げる。
鈴木重朝の子の鈴木重次は、当初は「鈴木孫三郎」を名乗っていたが後に「雑賀孫市」に改名している[26]。以後、水戸藩士の雑賀氏は代々雑賀孫市(または孫一郎)を称した[27]。
墓所
和歌山県和歌山市平井[28]の蓮乗寺に孫市の墓とされるものがあるが[29]、これは前述の鈴木重兼の墓である[17]。法名は「釈法誓」[30]。死没日を表すものか、墓碑には「天正17年(1589年)5月2日」とある[30]。
孫一を題材とした作品
- 小説
- 映画
脚注
- ^ 鈴木 2004, pp. 131–132.
- ^ a b 和歌山市史編纂委員会 1991, pp. 1003–1004.
- ^ 神坂 1981, pp. 38–53.
- ^ 和歌山市史編纂委員会 1991, pp. 1003–1006.
- ^ 和歌山市史編纂委員会 1991, pp. 1006–1007.
- ^ 鈴木 1984, p. 119.
- ^ 鈴木 1984, pp. 113–114; 和歌山市史編纂委員会 1991, pp. 1005–1006.
- ^ 鈴木 1984, p. 113; 和歌山市史編纂委員会 1991, pp. 1005–1006.
- ^ 和歌山市史編纂委員会 1991, p. 1004.
- ^ 神坂 1981, p. 44; 鈴木 1984, pp. 122, 241.
- ^ 鈴木 1984, pp. 119, 122, 241.
- ^ 鈴木 1984, p. 123.
- ^ 神坂 1981, pp. 39, 42, 44.
- ^ 鈴木 1984, pp. 196–197, 223–227.
- ^ a b 武内善信「秀吉の朝鮮侵略における降倭部将沙也可と「雑賀孫市」―鈴木孫一一族のその後―」『雑賀一向一揆と紀伊真宗』法藏館、2018年、370–371頁。ISBN 978-4-8318-6250-1。
- ^ 神坂 1981, pp. 45–46; 鈴木 1984, pp. 223–227.
- ^ a b 鈴木 1984, pp. 223–227.
- ^ a b 鈴木 1984, pp. 232–233.
- ^ 鈴木 1984, p. 235.
- ^ 鈴木 1984, p. 203.
- ^ 鈴木 1984, pp. 209–213.
- ^ 鈴木 1984, pp. 204–205, 219.
- ^ 鈴木 1984, pp. 203–206, 216–218.
- ^ 神坂 1981, p. 47; 鈴木 1984, p. 203.
- ^ 「鈴木孫一」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 。コトバンクより2024年12月7日閲覧。
- ^ 鈴木 2004, pp. 165–166.
- ^ 鈴木 1984, p. 247.
- ^ a b c 鈴木 1984, p. 200.
- ^ 貴志康親『雑賀党物語』国書刊行会、1976年、176頁。全国書誌番号:73016322。
- ^ a b 鈴木 1984, p. 196.
- ^ 熊野市教育委員会; 大谷大学民俗学研究会 編『紀伊熊野市の民俗 三重県熊野市木本町、井戸町、有馬町、久生屋町、金山町編』熊野市教育委員会〈総合民俗調査報告書(第14号)〉、1982年、152頁。全国書誌番号:86020715。