階上村

日本の宮城県本吉郡にあった村

階上村(はしかみむら)は、1955年昭和30年)まで宮城県本吉郡にあった村。現在の気仙沼市波路上・長磯・最知・岩月の各地区にあたる。

はしかみむら
階上村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 編入合併
階上村大島村新月村気仙沼市
現在の自治体 気仙沼市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
本吉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 10.72 km2
総人口 5,051
(『宮城県町村合併誌』、1955年3月31日)
隣接自治体 気仙沼市
本吉郡本吉町大島村
階上村役場
所在地 宮城県本吉郡階上村長磯船原20
座標 北緯38度50分25秒 東経141度34分49秒 / 北緯38.84014度 東経141.58039度 / 38.84014; 141.58039座標: 北緯38度50分25秒 東経141度34分49秒 / 北緯38.84014度 東経141.58039度 / 38.84014; 141.58039
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歴史

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沿革

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  • 1875年明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合により、波路上村・長磯村・最知村・岩月村の計4か村が合併して階上村が成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、階上村単独で村制施行。
  • 1955年昭和30年)4月1日 - 大島村新月村と共に気仙沼市に編入される。

津波被害

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  • 1896年(明治29年)6月15日 - 明治三陸地震。死者442人・負傷者117人(村の人口2,622人)。犠牲者の大部分は明戸部落(現・気仙沼市波路上明戸)の住民であった(部落の人口588人のうち、死者433人・負傷者114人)。
  • 1933年(昭和8年)3月3日 - 昭和三陸地震。死者1人・負傷者1人。

行政

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歴代村長

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氏名 就任 退任 備考
1 黒沢源 1889年(明治22年)4月20日 1897年(明治30年)4月19日
2 斎藤安治郎 1897年(明治30年)4月20日 1900年(明治33年)9月27日
3 菊田倉之助 1901年(明治34年)5月4日 1913年(大正2年)5月3日
4 及川広治 1913年(大正2年)9月20日 1917年(大正6年)4月30日
5 小野寺寅蔵 1920年(大正9年)3月30日 1922年(大正11年)10月15日
6 渡辺卯平 1923年(大正12年)2月19日 1924年(大正13年)3月31日
7 小野寺亀治郎 1924年(大正13年)5月7日 1932年(昭和7年)5月31日
8 小野寺菊治 1932年(昭和7年)6月1日 1946年(昭和21年)11月30日
9 菅原賢治 1946年(昭和21年)4月6日 1955年(昭和30年)3月31日

教育

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  • 階上村立階上小学校
  • 階上村立階上中学校

交通

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鉄道

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旧村域を通る国鉄気仙沼線は、階上村時代の1953年(昭和28年)6月に着工していたものの、合併までには完成が間に合わず、村域にかかる南気仙沼駅 - 本吉駅間が開業したのは気仙沼市編入後の1957年(昭和32年)2月11日のことであった。この時、旧村域内に陸前階上駅が開設され、1967年(昭和42年)7月20日には新たに最知駅が開設された。

参考文献

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  • 『階上村誌』(階上村誌刊行委員会、1960)
  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)

関連項目

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