陳脩 (孫呉)

中国後漢末期から三国時代の呉にかけての武将。陳武の子。

陳 脩(ちん しゅう)は、中国後漢末期から三国時代にかけての武将。『三国志』呉書に伝のある陳武の子。本貫揚州廬江郡松滋県。

陳脩

解煩督・都亭侯
出生 生年不詳
揚州廬江郡松滋県
死去 黄龍元年(229年
拼音 chén xiū
主君 孫権
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生涯

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父の陳武の風格を有していた。19歳の時に孫権に召し寄せられ、別部司馬を拝命し、兵士五百人を授けられた。

当時の新兵には離反する者が多かったが、陳脩は良く彼らの心を掴み、一人の逃亡者も出さなかった。孫権からこれを評価され、校尉の官を拝命した。

建安の末年、孫権は功臣たちを改めて評価し、陳脩は(父の陳武の功績により)都亭侯に封じられた。解煩督[1]となった後、黄龍元年(229年)に死去した。

異母弟の陳表は偏将軍の官に昇った。陳表及びその子の陳敖が死去すると、陳脩の子の陳延が司馬となって跡を継いだ。その弟の陳永は将軍となり、侯に封じられた。

出典

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脚注

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  1. ^ 特殊部隊の指揮官。ちくま学芸文庫正史 三国志 7』126頁より。