阿閉権之丞

幕末の武士。阿閉権右衛門の子

阿閉 権之丞(あべ ごんのじょう、文政10年3月5日1827年3月31日) - 慶応元年10月21日1865年12月8日))は、幕末武士[1]阿閉権右衛門の子[2]。名は信足[1]。字(あざな)は貞廉、伯知[1]。通称は別に猪三郎[1]

経歴・人物

編集

近江国膳所藩[1]。大目付役、大砲隊長、勝手方元締などを歴任[2]。禄高150石[2]尊王攘夷を唱えるが、佐幕派の策謀により捕らえられ、慶応元年(1865年)10月21日に同志保田信解増田仁右衛門田河藤馬允横島錠之介高橋作弥大羽俊蔵高橋雄太郎渡邊惣介深栖俊介森喜右衛門と共に[3]処刑された[1]膳所城事件)。

明治31年(1898年)、正五位を追贈された[4]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『阿閉権之丞』 - コトバンク
  2. ^ a b c 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『阿閉権之丞』 - コトバンク
  3. ^ 志士詩歌:膳所事件 河瀬太宰定(辞世)、増田仁右衛門(述懐) 2018年7月18日閲覧。
  4. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.10